海と空と青色絵の具









人は、生まれてきた時、まっさらな白いキャンパスを抱えて、生まれてきたのだと思う。
そのまっさらなキャンパスに、何を描いていくのかは、それぞれの人の自由でもあるし、権利でもある。 真っ赤に塗り潰す人もいれば、緻密に何かを描いていく人もいる。

私は幼い頃、青い絵の具やクレヨンを好んで使っていた。母親などは、女の子らしく赤を使え、ピンクを使えなどと叱ったけれど、それでも私は青を好んだ。…好んで使っていた物だから、青い絵の具や、クレヨンの減りは、他の色より断然早かった。そして、その青い絵の具やクレヨンがなくなると、私はよく泣いた。

「どうしたの?」
「アオいのが、なくなちゃったの」
「えのぐ?クレヨン?」
「りょうほう」
「だったら、ボクのをあげるよ」
「でも、そしたらカツロウちゃんのなくなっちゃうよ?」
「じゃあ、ミドリのえのぐとクレヨンちょうだい。こうかんっこしよう!」
「ありがとう!」

そして二人で、何か“秘密”を共有したかのように、ひっそりと笑った。







は相変わらず、青い色のものが好きだな」

彼はそう言って、青い色の携帯を手に取った私を笑った。
2人で、最寄り駅近くの大型電気店にやって来た。彼が携帯を買いたいと言っていたので、それに私がついてきた形だ。…それでも、2人で出掛けられる事に、喜びを噛み締めていた。

「…そういう克朗ちゃんも、緑好きだよね。今日のTシャツ、シーグリーンじゃない」
「そうか?」

そう言って彼は、自分の着ているTシャツを摘んで、シゲシゲと眺めた。

「これ、シーグリーンって言うんだな。さすが、美術部員!」
「…ケンカ売ってるの?」

シーグリーンとは、普通の緑より明るく、そしてエメラルドグリーンよりも青みがかっている色だ。ペパーミントに近い色とも言える。

「いやいや、純粋に褒めてるだけさ」

そう言って、憎たらしいほど爽やかに彼は笑った。

「…もういいからさ、早く携帯決めちゃいなよ!今日しか時間取れないんでしょ?」

そう、彼は明日になればまた寮へと戻ってしまう。そして、次に彼と会えるのは年の暮れ。
…そうやって、お互い別々の時間を過ごす。

彼は、彼女のいる世界へと、行ってしまう……

「そうだなぁ、はどれがいいと思う?」
「…すごくやる気のない質問だねぇ」
「いや、だって、俺はあの携帯が動くのだったら、あのままでよかったんだが…」
「うっかり洗濯物の中に入れちゃった人が、今更何を言っちゃうの?」

そう言って、私はにんまりとほくそ笑んだ。
…そう。彼は珍しく、うっかりをしてしまったのだ。

「携帯を洗濯するジーパンに入れたままにしちゃったなんて、初歩的なミスをまさか、克朗ちゃんがするなんて思いもよらなかったよ」
「あれは…事故だ」
「ふ〜ん?」

携帯は壊れてしまっても、あのストラップは壊れなかった。
今日、二人で選んだ新しい携帯に、またあのストラップがつけられるのだろうか?
…そんなの、わかりきっている事だけど。すごく胸が痛む……

?」
「えっ、何?」
「いや、この機種でどうかな?って訊いたんだが…」
「ああ、これ。ちょっと前にCMしてたよね」
「そんなに高くもないし、丁度いいかなっと思っているんだけど」
「そうだね。色々コンテンツが豊富らしいし」
「ああ。画像が綺麗なんだ。あと、音も良い」

詳しいんだね。と言おうと思ったけれど、やめた。
“誰か”が持っているんだろうって簡単に想像ができる。

それも、彼にとってとても身近な“誰か”が。

「じゃあ、この青にしようかな」
「青?珍しいね、いつも携帯は黒を選ぶのに」
「誰かさんが青色が好きだからな」

そう言って、彼はにこりと破顔した。

…ああ、彼は知らない。
彼から貰った、青色の絵の具やクレヨンは、私にとって宝物だった。
その大切な青色に、彼は、違う女の人とお揃いの物をつけようとしている。

「すいません!」

彼は店員さんを呼んだ。

「すいません、この機種の青いのをください」

彼が求めたのは、海とも空とも言えぬ、青色の携帯だった。