今年もあの花が咲く――……




手を伸ばせば星が掴めると信じていた
Osmanthus





ふとあの頃を思い出す。それは決まってある花の香りを嗅ぐたびに。
今年もその花が咲いた。強い芳香とそして小さくとも明るく鮮烈な色の花。
秋風に香りは乗って、辺りを匂いで埋め尽くす。まるで自分の存在を誇示するかのように、花は香る。――その花はまるで彼女のようだ。小柄で元気で明るくて、その場にいれば存在感がどっしりとあって朗らかな笑顔が印象的な女の子。ひまわりと譬えるよりかは、少し弱弱しくて。存在感があるのに弱弱しいって表現は可笑しいけど、でもふとみせる愁いを帯びた表情は、まさに秋のあの花のようだと思う。
雨風にさらされれば散ってしまうそんな花のように、どことなく頼りなげに見えた横顔。俺はそんな彼女に惹かれて、ひっそりとその気持ちを温めていた。――恋、という言葉がまだ気恥ずかしくて、なおかつ女の子を花に譬えてしまう自分の感傷的な部分も恥ずかしくて、隠すようにサッカーに熱中したあの頃。

サッカーは恋とちがってわかりやすかった。

ゴールにシュートすれば点が入る。そして敵チームより点が多ければ勝てる。そんな単純で解りやすいところがサッカーの魅力で、恋なんてわかりづらい数式を説くよりか、単純なサッカーの算数をしていたほうが楽だった。一足す一は二。そんなサッカーの世界が魅力的だった。

けれど現実世界の、複雑な糸で絡み合った世界は、俺を放ってはおいてはくれなかった。いつしかクラスメイトやチームメイトも恋バナでハナを咲かすようになって、その話題がまるでクモの巣のように捕らえてくるんだ。――俺はさながらその巣に捕まって足掻く蛾の立場だった。

「藤代は好きな奴とかいないのか?」

男ってストレートだ。 なんでこんなにオブラートに言葉を包まないのかとこんな話題の時思ってしまう。

「別にぃ。俺サッカーが恋人」

俺の言葉に周りが寒いとどっと笑い出す。
――いや、本当なんだけどなぁ。
そんな俺を放っておいて周りは誰がかわいいとか胸が大きいとか。誰がやらせてくれそうとか。結構失礼な話までする。こういった話題の時本当に俺って存在は蚊帳の外で、ぼんやりとパックのストローを噛んでぼんやりと過ごす。――ゲームとかサッカーとかそういった話のほうが面白いのになぁ。誰かが彼女とこの前ヤったと自慢を始めると、段々とえげつない話が繰り広げられる。――興味が無いって訳じゃないけど、なんだか非現実的な話に思えて、妄想するのも結構苦労するんだよな。エロ本が出回った時もなんでこんなものがいいのかとその時は首をかしげた。会ったこともない人間に欲情するのは俺にとっては途方もないことで、紙ペラでどうこうしろと言われても難しい。周りは男としての機能が不能とか言ってバカにするけど、決して不能ではないと…思う。1コ上の渋沢先輩に相談した時は、先輩は笑って大丈夫だと言ってくれたし、その隣で嫌な笑い方する三上先輩もまだガキだなって、多分大丈夫だという意味で言ってくれたのだと思う。…三上先輩のあの笑い方には少し腹が立ったけど。

「けど藤代、お前モテるのに何でそんなに興味ねぇんだ?」

唐突に話題がふられて驚いた。かんでいたストローはいつの間にかぐしゃぐしゃでこれ以上噛みようが無い程潰れていた。

「……モテる?」
「うわっ…お前のその反応すっげぇムカツク」
「ムカツクって言われても…俺ってモテるの?」

すっげぇムカツクと周りから殴られたり絞め技を食らわされた。――なになに俺ってモテるの?周りの人間ほど興味なくっても自分がモテると言われればそりゃ嬉しく思わない人間はいないだろ?

「…聞いた話、隣のクラスの狩野とか西山とか、ああ、あともお前のこと好きらしいぜ?」

と名前をきいて俺の胸はドクリと鈍く高鳴った。

まで藤代のこと好きなのかよぉっ?」
「女の間では有名な話らしいぞ」

しばらく俺は呆然と目を見開いた。その間絞め技かけられたり殴られても痛いという感覚が麻痺したようで何も感じなかった。…いや、胸の苦しいまでの鼓動だけは感じた。そして切ないような、胸騒ぎのような。どこか甘い締め付けを俺はその時、初めて感じた。

それは中1の秋の金木犀が咲き始めた頃だった。

あれから何回も季節は廻り、俺はいつしか年齢的に大人になった。
あれから“自分はモテる”のだと自惚れた自覚で何人もの女の子と付き合った。けれど何人つきあってもあの子の事をふとしたときに思いだした。キスしたり抱きしめたりセックスをしたり。男にはどうしょうもない性があって、気持ちとは裏腹に抱く事ができるんだと痛感した。痛感してもその性が治まる事はなくて、俺は本当にどうしようもない男になった。ただ初恋のあの人の前では素直になれなくて、恥ずかしくて。中学、高校と上がっても自分の気持ちを伝えられずに卒業してしまった。

初恋は実らないとはよく言ったものだ。

こうして金木犀の咲く頃に、あの頃の甘い痛みを思い出す。秋はどうしても感傷的になってしまう。この甘い匂いに包まれて、あの頃のどうしようもない不器用な自分を思い返すと、なんだか笑えてそして悔しくも思える。――勇気を出して行動していたら、今が変わっていたのかもしれない。サッカー選手になるなれないという事ではなくて、もっと胸の奥にあるもっとも傷つきやすい部分の話だ。

――彼女は今、何をしているんだろう。

大学へと進学したらしい彼女は、きっと今頃新しい恋をしているのかもしれない。いつまでも俺の事を想ってくれてるなんて夢見てないけど、それでもどこか心の片隅で俺の事忘れないでくれればいいのにな、と女々しくも思ってしまう。――そう思う俺はいつまでも成長できないガキのままだ。

けれど季節は廻る。

季節は廻っても、あの花の匂いは変わらない。