秋は元々悲しくなるのに、今は殊更。







風になりたい








私の家は貴族だ。
だからといってそれを鼻にかけるつもりはない。
そして私は本妻腹の子ではない。別腹の娘だ。
貴族の女というのは厄介なものだと思う。お家の為に子を産まなければならない。入内したなら男の子を貴族に嫁したなら女の子を。そして一門の繁栄を。よい外戚関係を。そして貴族の男はたくさんの愛人や側室、そして本妻の元へと通う。子を為すため。…自分の享楽の為。そして私の父もその例に漏れず多くの女性と関係を結んだのらしい。そしてその中に母がいた。そして私が生まれた。
だけど父の北の方は物凄く嫉妬深くて有名なのらしい。側室愛人が出来ようものなら、嫌がらせなんて当たり前、根も葉もない噂を流し、そしてまことしやかに噂されるのが呪詛、相手を呪う術を行なっていると。

そのせいなのか、母は私が10の時に亡くなった。生来気が弱くて、とうの昔に両親を亡くし、北の方の家の威勢に圧迫され、きっとそれが心労となり蓄積されていったのだと――今では思う。ただその当時、優しい母が亡くなった事が悲しくて、そして母が亡くなったというのに、病床に伏せている時も、亡くなった時も父は訪れては来てくれなかった、それも寂しくて悲しかった。――私はこれからどうなるのだろう。幼心に不安だった。



*




簀子でぼんやり庭の様子を眺めていたときの事。
庭先の木陰に誰かが居るようだ。木陰に隠れ切れていない赤い髪がそこに人がいるのだと主張している。

「そこにいるのはだぁれ?」

母の喪が明け、父は親戚筋を頼って私を熊野の小さな邸宅に住まわす事にした。京の家より質素な造りだけど、木陰や鳥のさえずりや風が気持ちよくて、父の屋敷に住まなくて良かったのかもなんて思った。そこには恐い北の方もいるし、怯え暮らすのなら質素であろうがこんなに気持ちの良い所に住むほうが何千倍も良いと思う。

「そこに隠れてないで出てきなさい」

そう声をかけるとひょっこりと、赤い髪は目立つ男の子が顔を出した。
苦笑いというか破顔して、とても綺麗な男の子だ。

「……バレたかい?」
「だってあなたの髪が木に隠れきっていなかったわよ」

どうやら私より年下のようだ。
側によってくる姿は小柄で、笑っている顔が幼い。

「『風吹けば 落つるもみぢ葉 水清み 散らぬ影さへ 底に見えつつ』という所ね。それよりあなたはどなた?」
「…へぇ京から来た姫君は歌を詠むんだね。オレはヒノエ。ヒノエって呼ばれているんだ」

自分より年下の子が、姫君といったりオレと言ったり、背伸びしてる感じが可愛らしくて可笑しくて笑ってしまいそうになって奥歯を強く噛み締めた。

「それでヒノエ殿はうちに何か御用?」

質素な造りと言っても塀はある。それだったらきちんと門から入って来た事になる。けれどどうして彼は木に隠れていたのだろう。――軽装だけど立派な仕立ての着物も着ているし。

「ちょっと京から来た姫君が気になったんだ」
「まあ私のことが?」
「おやじ…父が同い年の女の子が京から来て一人で暮らしている…なんて言ってるからさ、気になったんだ」

――同い年。それじゃあこんなに小柄なヒノエ殿も11歳になの。にわかに信じがたい。けれどはっきりとお話する姿は、もしかしてそうなのかもと感じさせる。てっきり年下と思っていたから気安く声をかけてしまったけど、この事を乳母が知ったらどんなに怒られる事か。

「…ヒノエ殿とお父上は熊野の方なの?」
「ああ、そうさ。ずっとここで暮らしているんだ」
「そう、羨ましいわね。熊野って素敵な所だから、私もここで生まれて育ちたかったわ…」

もしお母様も熊野で生活していたら今もご健在かもしれない。そう考えると胸が苦しくなる。

「…『おほかたの 秋くるからに 我が身こそ かなしきものと 思ひ知りぬれ』」

まだ緑が多いこの熊野も段々と赤や黄に染まっていく。……ああ、お母様がお亡くなりになったのは去年の暑い盛りの夏で、そうして向かえた秋は殊更寂しさが沁みた。その思いが蘇る――……っ

「…姫君……」
「……私そろそろ中に入らないと家の者に怒られてしまうわ。それに冷えてきた事だし。ヒノエ殿も暗くならない内にお帰りになった方がよろしいのでは?」

くるりと向きを変え、泣き出しそうになる顔を袖で隠す。
人前で泣くにはいかないから。

「…また会ってくれるかい、姫君?」
「ええ、お話してくれる人が出来て嬉しいわ」

そう言って私はヒノエ殿に振り返ることなく御簾の中にかいくぐった。そして外で足音が遠ざかって消えてからしゃがみ込み、涙が零れた。

お母様が恋しい。
父上は私を捨てたのだろうか。
熊野は美しい、けれど秋が来る。

元々お母様の代から仕える人は少なかったけれど、熊野に来る事になってより一層減った。今は離婚したばかりの女房とその女童、私の乳母と乳兄弟。他は散り散りに。……人が居ないというのは、こんなに寂しいものなのか。

悲しみとはこんなにもつらい思いだったのか。
歌を詠んだ人たちもこんな思いを抱えていたのか。

――ああ、ただただ辛い。

「お母様にお会いしたい…」

生ぬるい涙が頬を伝う。
その感触が嫌に生々しくて、私は生きていると言う事を嫌でも実感させられた。



――そうやって熊野に着たばかりの頃の私は涙に暮れていた。