例えば君が、私のことをなんとも思わない、そんな悲しさと、あなたの悲しさは、イコ−ル関係に等しいじゃないのかな……












ピッチカ−トと記されて

アフターイメージ










私は、知っている。
知っているから、泣きそうになる。
……けれど、あなたは私が知っていることを知らなくて、とても 泣きたい。





カクエイシ


それはまるで、お呪いのように私の心に響く。
きっと彼を好きにならなければ、心に響くわけなかった。けれど、私は1年前から彼が好きだ。きっと実ることの無い恋だと、わかっていても、頭と心は別々に動き出していた。ただ、何の因果か3年間彼と同じクラスになり続けてきて、これといった動機がなかったけれど、私は郭英士という人に慕情を抱き、その気持ちを温め、そしていつかこの想いを捨てなければならないことを知っている。


さんは、なにか本を見つけた?」


郭くんはそっと、潜めた声で問うてきた。私はその声が好きで、嬉しかった。今、二人で図書館のカウンタ−で仕事をしている。仕事、といっても返却貸し出しの至って簡単な雑務だ。


「うん……まだ決めかねてるけど、きっと名作系に手を出すかな」


私も郭くん同様声を潜めてかえす。司書の先生はどこか用事で出ていて、館内はガラリと閉塞的だ。それでも、普段どおりの声で喋るのは憚れる。


「そうか……名作系か」


彼はふと考え込んだ。


「うん。少し昔のものの方が、書きやすいかなって。ほら、普通の読書感想文だったら適当なものでも大丈夫だけど、時代情勢とか社会性とか言われると、現代のものって結構難しいじゃない?」


今年私たちのクラスを受け持つ現国の先生は少し変わった夏休みの宿題を出した。その先生は大学時代、社会学という講義が大好きだったらしく、社会性というものに凝っていた。


「まったく、あの先生には呆れを通り越して尊敬するよ。高校生の俺たちに時代背景とか情勢とか、どうやって書けというんだか……」


「同感」


彼のため息に思わず、くすりと笑ってしまった。


「なんだかさん、余裕そうだね」


「まさか!でも一般の人よりかは時間には余裕があるけどね……」


「そうか、さん推薦なんだ」


「うん、まあ、なんとか貰えたって感じだけど……」


そう言って、少し恥じ入ってる私に彼は、素直に笑顔を浮かべてくれた。


「おめでとう」


その笑顔に私は、ドキリと心臓の鈍い音が鳴った。


「ありがとう……」


なんだか私は、その笑顔に涙が出そうになった。何でだろう、不意に浮かべられたせいだろうか……


「何学科に入るの?」


あえてどこの大学に行くかは聞かないのが、郭くんの流儀だと心得てる。


「人文学系なの。だから社会学とは無縁じゃないから、いい機会かなって」


そのさり気ない優しさに、頬が熱くなる。


「いい予行練習ってわけだ」


「うん。でも本当の社会学と少し違うみたい」


「へぇ?」


そうして、私たちは人がまばらな図書館で、閉館時間までたわいない話を続けた。
戸締りの時間だけ司書の先生が来て、最終確認は先生がするらしく、先に帰された。そとは、まだまだ明るかったけれど、昼間のような暑さはなかった。生ぬるい、けれど少しだけ清々しい風が吹く。帰路に着く私たちの影は、細長く伸びて、アスファルトの道に二つ。郭くんの影がやっぱり長く、並んでいた。


恋をするって、本当に些細なことで顔がニヤけてしまいそうだ。


ただ帰る方向が同じで、最寄り駅が近い。同じクラスで、委員会が同じ。


そして一緒に並んで帰って、影が並んでいることでさえ、嬉しくて堪らない。


なんとも思わない人とだったら、なんとも思わないことなのに、どうしてこうも顔がにやけてしまいそうなのだろう。郭くんと話すときは、どこか意識がいつもとは違うところにあって、いつもとは違う私が彼と話をする。胸が弾んで、独り善がりの幸せなオブラ−トに包まれている気持ちがする。その中は、苦しいほどに幸せだ。


ひとしきり世間話をして、ふと思った。


「そういえば、今週の図書館の当番ずっと出てるね?」


「うん。夏休み入ってからサッカ−漬けなんだけどね」


「今は、休み?」


「そう。サッカ−地獄前のほんの休息ってとこ」


郭くんが大真面目に言うものだから、私は思わず吹き出した。彼は私が笑ったのを確認して、ふ、と口元を綻ばした。


「じゃあ、今のうち遊ぶだけ遊ばなきゃね!」


「そして、なるだけ宿題を片付けなきゃ」


「…うん!そう、だね」


さん、顔引き攣ってる」


そんなことないと、郭くんをカバンで小突く。彼は冗談めいた笑顔で小突き返してきた。それから暫く二人の小突きあいが続いた。





ああ、今がとても幸せだ。





例え、刹那的なことなのかもしれないけれど、この幸せの終わりを想像出来ない。私が思い描くような関係でなくとも、私はこの二人で作る雰囲気が居心地がいい。


クラスで話すことがなくても、郭くんがサッカ−の練習で図書館の当番に来れなくても、時々二人で過ごすこの時間が、今だけ永遠と信じられそうだから。


永遠に終わることの無いように、思えてならない。


決して、永遠なんてものは存在しなくとも。


『私は、郭くんが好きだよ』


そう告げれば、終わることも知っている。
そして、彼は私にそう言われる隙を与えない。きっと郭くんは私の気持ちに気づいているのではないか、という素振りを見せるけれど、それは私の思い違いかもしれない。 そして郭くんは私との会話で時々、ほんの時々、息苦しそうな顔をする。一瞬驚きともつかないような顔を。それには私が気づかない振りをする。
――ああ、そうなんだ。この居心地のよさを感じているのは、きっと私だけなんだ。


彼は、郭くんは、自分の存在を“ここ”には置いていない。クラスには、置いていない。そして図書委員としてでも、置いていない。


彼は、気の置けない場所をここに作ってはいないんだ。確かに彼はここに居るけれど、心をここには置いていない。
今日よりも利用者が少ない当番の日、彼が一度だけ、話してくれた。
それは、彼の親友のこと。サッカ−のチ−ムメイトのこと。そして彼らを呼ぶとき、呼び捨てにすることも。確かに郭くんは同性の子を呼ぶ時は、呼び捨てだけれども、ニュアンスが違うといえばいいのだろうか。


クラスの子たちには、親しさも、仲間意識も感じられない無機質な物を呼ぶように言う。抑揚はある、何かしらの基本的感情はあるかもしれないけれど、けれど、それは比べ物にもならないほど無機質だ。


そう、それは私にも当てはまる。


それはまるで、私という物を呼ぶように言う。


さん、電車の時間が」


「えっ…あ、急がなきゃね」


けれど、私は郭くんに呼んで欲しい。飽きるほど、降り積もるほど。


小走りでついた、いつも乗車する駅のホーム。私の息は乱れていたけれど、彼はなんともなさそうに涼しげだった。そしてややあって先頭車両がホ−ムの端から顔を覗かせてきた。乗り込んだ電車は涼しくて、でも電車独特の臭いがした。


ホ−ムに発車の音楽が鳴る。なんだろう、とても胸をくすぐる。そして扉が閉まる音に紛れて、そっと 呟いた。


『好きだよ』


けれどその時郭くんの携帯の着信音が鳴った。


ああ、私の胸の弦を弾いたというのに……











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きっと郭くんは、学校とか社会に出るまでの通過点と位置づけて、可もなく不可もなく過ごして行きそうな気がしました。片思いの子で、勘が良い子には辛いだろうな〜という話。(^^;)


そして、なんとなく続きます