私の気持ちは、日々膨れ上がるばかりで……






ジリジリ蝉の輪唱
アフターイメージ






無償の愛

見返りを求めないで、人を好きになるってどんな気持ちなんだろう?
…私はやっぱり好きになった人には振り向いてほしいし、願わくば両思いになりたいって思う。そうじゃなきゃ、一方的に募る想いばかりじゃ、いつか自分の気持ちが潰れてしまいそうで……


だからやっぱり『郭くんの気持ち』は理解できずにいた……


相手が好きだから、その人の事を考えて別れる。そして別れてなお、その人の事を想い続ける……


はぁと、ため息をついて半ば読みかけの本を投げ出すように閉じた。
そしてそのまま大きな机に突っ伏して、周りの喧騒に耳を傾ける。蝉の鳴き声と共に、グラウンドから野球部かサッカー部か、多分そこらへんの運動部の掛け声がここまで聞こえてきた。

今日はあまりに暇を持て余して、学校にのこのことやって来た。――学校といっても、この図書館に来たと言った方が正しいかもしれない。今日は開館日で、夏休みの課題用に借りた本を返しに来て、また新たに本を借りた。開館してからすぐ位――多分10時ごろ――に来て、今はもう1時半を回ろうとしていた。

最初の計画だと本を返しに来てそのまますぐ帰ろうと思っていたけど、学校まで来るまでの、この鬱陶しい暑さに辟易して、2階の会議室に“立て篭もろう”と思って、数冊適当に新しく本を借りた。…図書館内は私と司書の先生見当たらなかったけれど、でも長時間居続けるには居心地が悪そうだった。――一応司書の先生に会議室を使うことを了承してもらって、そしてもうすぐ1時半が過ぎようとしていた。

お昼だなぁと思っても、全然食欲が湧かない……

8月に入り、ますます“夏”という感じが強烈になり、蝉の鳴き声がいっそう賑やかになった。――けれど悲しいかな、暇な私にはより一層寂しさを募らせるばかり。…そして少し夏バテ気味。

周りの友達は、受験勉強のため塾や予備校に通い、そんな忙しい人たちに『遊ぼう』と気安く連絡を取れるわけがなかった。…というか、そんな事をしたらこれから残りの高校生活が“暗黒時代”になってしまう。

3年生ともなると、受験生ということで夏休みの宿題もかなり少ない。
国語の変てこな作文…だけ。

多分推薦入試が終わって、合格したら大学側から課題が出されるだろうけど――出さない大学もあるらしいが――、目下夏休みにやるべきことは終わってしまったといってもいいだろう。

はぁと、また私は机に突っ伏したままため息をついた。

私の周りの友達は一般受験をする子ばかり。指定校推薦を受けるのは私ぐらいだ。――本当は友達のちゃんが、違う大学の指定校を狙っていたみたいだけど、成績が微妙らしくてその上、他の人も狙っているらしいので落ちた場合に備えて予備校に通っている……

AO入試も、指定校推薦も…思いつく限りの知り合いにはいない。

つまんないなぁと独りごちて、寝そべりながらパラパラと読みかけの本をめくった。夏休みの課題用に少し難しめな本を読んで辟易してしまって、もう本を読むのは懲り懲りだと思ったけど、結局暇には勝てずに本を読んで過ごしている。今回読んでいるのはとても単純明快な物語。この本を読んで、三島由紀夫もこんな解りやすい本を書いてたんだって変な感銘を受けた。そして一瞬にしてお気に入りの作品になった。

だからこういう『解りやすい恋愛小説』を読むと、どうしてもっと簡単に物事が進まないんだろうって考えてしまう。


好きだったら付き合ったままでいればいいじゃない。
…もっと自分の気持ちを説明して、お互いに言いたいことを言い合えば良いのに……


そうしたらきっと彼女さん…元カノさん?も納得するはず。
自分の気持ちをちゃんと説明しなきゃ、解ってくれない……

解ってくれないよと、ぽつり独り言を呟いた。――そう、互いに自分の気持ちをいい合わなければ伝わらないことが多い。…それが例え『好きだ』って簡単なことさえも。


『さようなら……』


ある映像が頭の中をよぎる。もうおぼろげにしか思い出せないけれど、それでも胸の痛みは易々と思い出せて、心臓がドキリと痛みを伴って打ち付ける……
私は胸倉のシャツを強く握り締めた。

――そう言い合わなきゃ、ダメなんだ。ちゃんと伝えなきゃ、ダメ。

ダメだよ郭くんと、また独りごちて、額を机に当てた。……ひんやりと冷たくて、少しだけ身震いした。そういえば冷房が寒いなと思って、温度を上げようと立ち上がると、丁度会議室のドアが開いた。



*
*
*



…司書の先生かと思って、さっと、それなりに身構えてみたら、まったく予想外の人物が部屋に入ってきた。


「か…郭くん?!」

「こんにちは、さん」


まごつく私とは裏腹に、郭くんは外の暑さを思わせないほど涼しげに部屋に入ってきた。…けれど実際は、額にうっすらと汗が滲んでいて涼しいと静かに、嬉しそうに呟いた。 私は言葉に出来ない驚きを隠せないで、ぽかんと郭くんの顔を食い入るように見つめた。……その人は間違いなく、郭くん。

「何で…っ?!」

無意識のうちに発してしまったその一言に、思わず手で口を押さえた。――郭くんは私の行動が可笑しいのか、屈託なく笑顔を向けてきた。
…思いがけない人物に…笑顔に不意を突かれて、私の心臓は一際大きくドキリと高鳴った。

「夏休みの宿題をやろうと思ってね」

「ああ、そう…」

「うん。それでやるんだったら図書館とかでやった方が楽かなって思って…それで会議室に来てみたんだ。そしたら案の定さんがいたんだ」

そう言って郭くんはさんは?と尋ねて、適当な席に腰掛けた。――戸惑いもなく。そこは私の座っている席の隣だ。

「う…うん。宿題が終わったから本を返しに来たの。でも、暇だからついでにまた本を借りて、ここで読んでたの」

「そう…この本のこと?」

郭くんは、テーブルの上に無造作に置かれた本を手に取った。…その本は古いながらも、あまり人の手に取られていないのか、綺麗なままだ。…その証拠に、貸し出しカードの欄に、私より前に記述されていたのが2人だけだった。…しかもその2人ともかなり昔のようだった。

「『潮騒』…か。三島由紀夫だね」

郭くんは徐にページをめくり始めた。
…私はずっと立ったままなことに気づいて、ポトンと落ちるように席に座った。
郭くんは無造作にページをめくりながら、ざっと文章を追っているようだ。…こうしてみると郭くんは意外とまつげが長いんだなぁと興味深かった。

夏だというのに、真っ黒という訳でもなくかといって白すぎず…な肌。――弟とはまるで反対だ。年中サッカーをする弟は真っ黒で、それはそれはこんがりという形容詞がピッタリなほど。それにどこから見ても男…もっといえば、男くさい弟とは違って、どこか郭くんは中性的な印象がする。

――そう言えば、こうやって郭くんの顔を眺めるのはじめてかも……

そんな私の考えなぞ露知らず、郭くんは本に目を向けながら話しかけてきた。
そして私は一瞬、少しだけ怯んで郭くん同様本に目を向ける。

「この話どう?」

「う…うん。なんか単純明快って感じで面白いよ」

「へ〜…三島由紀夫なのに?」

うんと、私が頷くと、郭くんは興味深そうに目を輝かして、その目で文章をなぞった。

「俺、『金閣寺』なら読んだことあるよ」

「へぇ〜。…実は私もあるよ」

さんも?」

「うん…でも、実は私には難しくて途中で放棄しちゃったの」

そういって恥じ入って俯くと、郭くんが珍しそうに声を上げた。

さんでも難しいって思うんだね」

そう言われて、どう返して良いのか解らなくて、曖昧にえへへと笑ってみた。
徐に顔を上げると、丁度郭くんと視線がぶつかって、またドキっと心臓が不意をついた。
…だって郭くんは笑っていたから。

「そ…そういえば、郭くんは宿題の本は何にしたの?」

あんまり目を合わしていることが出来なくて、パッと逃げるように郭くんが持ってきた本に視線を逸らした。郭くんは、ああと頷いて私の前にその本を置いてきた。
重厚な造りの厚手の本。……一般的にハードカバーといわれる物だろう。この本も古びていて、私が借りた本と同じく、綺麗なままだった。
私は首をかしげながら、表紙をめくった。

「森…有正…『遥かなノートルダム』?」

「うん、そうだよ」

「森有正って…森有礼の息子とか?」

森有礼は確か…学校令を公布した、明治時代の政治家だったよなぁ…と最近勉強をしてないので頭の回転が鈍っていた。

「うん、そう。初代文部大臣の森有礼の…孫だったと思うよ?」

へぇ〜と、私は何ページかめくってみた。そして数行目を追ってみると、それはエッセイか評論文だということが解った。……なんだか書かれていることが難しげで、私は心の中で「うげっ!」と奇声を上げた。

「…これ、物語じゃないね…?」

そう言うと、郭くんはあっさりとそうだよと頷いた。…かなりあっさりと哲学の本だよとも。

「ふ〜む…『ノートルダム』だからフランス?」

「まぁ、そうじゃない?渡仏したらしいし」

ふ〜んと言って、その本を郭くんに返した。その本は、どっしりとまでは言わないけれど、それなりに重みのある逸品だった。

「間に合うの?」

厚みはさほど無いけれど、それなりの読解力と理解力を求められるだろう。
郭くんはやや苦笑して、間に合わすつもりだよと言って本を開いた。
そうだねと呟いて、私も郭くんを見習って読書を再開した。

静かになると、また当たりの喧騒が聞こえ始めた。冷房のすすり泣くような音や、蝉がじりじりと鳴いていて、運動部の掛け声が聞こえてくる。――たださっきと違うのは、隣に郭くんがいるということ。…これは大きな違いだ。
涼しい…というか少し肌寒いこの部屋の中で、隣から微かに郭くんの体温を感じる。

そして時折、少し厚手の紙がめくれる音がする……
そして微かに郭くんが息を吐き、いつの間に出していたのか、レポート用紙にさらさらとメモを取り始めた。そしてまた本を読み始めた……

私の心臓は、愚かなことに『郭くんが居る』というだけで忙しく鼓動を叩きつける。視線で字面をなぞっても、全然内容が頭に入ってこない。――多分ここが寒くなければ、きっと私の顔は真っ赤に染まっていたことだろう……

――そう言えば、寒いなぁ……

さっき温度を上げようとしたら、丁度郭くんが来て上げそこなったんだよね……まぁ、私がビックリして忘れちゃったせいだけど。
冷たい空気は下に溜まるせいか、足元がひんやり寒くて、思わず足を交差させてさすった。 ――寒いと思い始めると、やがてどこもかしこも寒くなってきて、ぼつぼつと鳥肌が立ってきた。

そっと隣の郭くんを窺うと、郭くんは何もないような顔をして本を読んでいた。 …もしかしたら、さっき外から来たばかりの郭くんには丁度いいのかもしれない。私は思わず、肩を落とした。

「どうしたの?」

気がついたら、さっきまで黙々と本を読んでいた郭くんが、こっちを見ていた。私はまたまごまごして、ぶんぶんと大げさに手を振った。

「な…何でもないです…よっ?!」

「そう?」

その言葉と裏腹に、疑わしげに眉をひそめてきた。

「あっ…正直言いますと、寒いなぁって思ったんだけど。郭くんは丁度いいのかなぁって思って……」

照れ隠しに笑って見せると、郭くんは呆れたようにため息をついて席を立ち上がった。そしてドア付近にある空調のボタンを操作し始めた。

「そう言えば、ここに何時ぐらいからいるの?」

どうやら郭くんは一旦冷房を切ったらしく、あんなに冷たく感じた冷房の風が当たってこなくなった。私はほっと安堵とも、歓喜ともよべるため息をついた。

「多分10時半前ぐらいからここにいるかも……」

「10時半?!それからずっと?」

郭くんは凄く驚いている様子だったけど、私は何に驚いているのかあんまりよくわからなかった。……だって、本を読み始めると時間なんてあっという間に過ぎていくものじゃない?

「うんそうだよ」

「……ねぇ、質問していい?」

「何?」

さん、お昼食べてないでしょ?」

ズバっとエスパーみたいに言い当てた郭くん。――純粋に凄いと感心した。

「凄ぉい!何でわかったの?」

私がそう言うか、言わないうちに郭くんは深深とため息をついた。

「…だろうと思った。だってここの調節温度何度だと思う?」

さぁと首をかしげると、郭くんが空調ボタン前に来るように手招きした。それに応じて、空調のボタンの前に行くと、27度と電源は消えていたものの、そう映っていた。

「……結構エコロジーな温度だね」

「普通27度ぐらいだったらさほど寒いとは思わないでしょ。というか、むしろ暑く感じるよ」

それには私の経験上頷けた。…そんな私を見て郭くんは呆れたように「行くよ」と言った。

「…どこに?」

「コンビニ」

「コンビニ?」

「そうコンビニ」

私たちはまるで言葉遊びをしているように、コンビニコンビニと連呼しあった。

「え、何で?」

「何でって…だってお昼食べてないんでしょ?」

「食べてないけど……」

「なら、食べなきゃ」

何も食べてないから、体が冷えるんだよと郭くんは語調を強めた。

でも食欲がないんですという言葉は、かろうじて飲み込んだ。……だってこれは郭くんに言うべきことじゃないから。
呆れた風情の郭くんは会議室のドアを開き、出るように促した。私は渋々外に出ようと、足を踏み出してあることを思い出した。

「あっ!お財布……」

そう言って引き返そうとした私の腕を郭くんはしっかりと掴んだ。 一瞬何をされたのかわからなくて、マジマジと掴まれた自分の腕を見つめた。そして『腕を掴まれた』と脳内にインストールされると、顔が茹で上がるように赤くなっていきそうだった。

「か…郭くん?!」

「いいよ、財布置いていって」

「で…でも!」

郭くんはニコっと笑って、私の腕を引っ張って会議室の外に出た。出た瞬間にムアっとした熱気に取り巻かれたけれど、すっかり冷房で冷え切った私の体には丁度良かった。…けれど今の私にはどうでもいいことだ。
郭くんは私の腕を掴んだまま、ぐいぐいと階段をおりていき、そのまま図書館の外に出た。

「あ…あの、郭くん?」

「この前のハンカチのお礼……」

ハンカチ…と一瞬考え込んで、すぐさまこの前郭くんが紙で手を切った時に渡したハンカチだと思い出した。

「でもいいよ。安物だし……」

郭くんの歩くペースが速くて、すっかり私の息は上がってしまった。それに気づいたのか、郭くんはようやく止まってくれて、そして掴んでいた腕を放した。私はほっとして、上がった息を整えようと何度か大きく息を吸った。……道はもうコンビニまでの道のりを優に半分ほど消化していた。

息も大部落ち着きふと視線を上げると、郭くんが困ったようにはにかんでいた。……照れ隠しだ。そうピンっと直感が脳裏を貫いた。

「…例え、安物でもダメにしちゃったものは、ダメにしちゃったし。それにちゃんとお礼がしたかったんだ…」

郭くんは、『男の人にしては白い』頬をやがてうっすらと染めた。

……私は、なんだか郭くんの照れた様子が愛しくて、思わず笑ってしまった。
郭くんは少し面食らった様子で、まじまじと私を見つめ返してきた。私はなんでもないのと、手を挙げそして笑いを飲み込んだ。そして郭くんの隣に歩み寄り、にっこりと何センチも高い彼を見上げた。


「お礼は高くつくよ?」

そう言うと、郭くんはまた少しだけ瞠目して、そしてややあってにっこりと微笑んだ。

「もちろん」


そしてコンビニまでの残りの道のりを夏の熱気に焼かれながら、ゆっくりと並んで歩いていった。


……ねえ郭くん。


ここで『好き』って言わなかったことを誰でもないあなたに、褒めて欲しいぐらいだったよ…?






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『金閣寺』頓挫したのは誰でもない、私です。でも去年の出来事で「もう大丈夫よね★」と楽観的に読み始めようと考えてます。『金閣寺』を頓挫した後すぐに『潮騒』を読んで、深く感銘したのを覚えてます。 ……ついでに言うとヨンサが読んでるって設定の『遥かなノートルダム』も頓挫しました……
ちょっと高校生チックな話になったかな?と思います(大いに自己満)