やがて風にさらわれる
砂粒のような存在だろうと、

君への想いは変わらない……






喩え君への想いが砂になろうとも
アフターイメージ






さんを抱きしめた時、言葉にし難い感情が身内で蠢いた。
嬉しいとか、戸惑いとか。そういう感情ではなく、ただ安らぎに似た感情が胸を熱くさせた。


それは衿子にも抱いた事がない、不思議な感覚だった。


衿子の傍にいると、安心というよりも楽しさ。ドキドキ感が髣髴した。――4年という歳月の中で、安心というものを感じなかったわけではなかったけれど、安心感を勝ってドキドキという方が強く感じた。

それは衿子に対する慕情でもあり、そして危機感でもあった。危機感というと大げさな感じがするけれど、やはり似たような感情を抱いていた。


衿子は強くて脆い。


衿子の危うさを思うと、あまり心から安心と、思えることが少なかった。



…本音を言えば、いつも怖かった。



衿子との繋がりが、あまりに脆く儚くさえ思えてならなかった。

衿子という仮面の下に、とても弱い本当の衿子があった。仮面の下の衿子は、笑ってしまうほどわがままで強情で、そして純真で……
心を許した人間だけに見せる、新たな衿子。――本物の衿子。

自分の中で眠っていた『父性愛』をくすぐられる様な人だった。

守ってあげなきゃ。

天から与えられた使命のように、俺はこの4年間衿子を守ってきたつもりだった。…強い個性を持つ人間は、『学校』というコミュニティ内では、真っ先に淘汰される。強いカリスマ性を持っている人間に、多くの人間が惹かれる一方、多くの人間が反感を抱く、そんなものだ。『学校』という小さな枠の中で、上手く切り抜けていける人間は、まず『没個性』でなければならない。多くの人間が群がるモノに群がり、避けるものは裂け。権力の強い物には媚びへつらう。…そこまで極端にならなくとも、やはり似たようなものだろう。

受け入れられる強い個性と、受け入れられない強い個性が存在する。

衿子の場合後者ではないにしろ、やはり衿子という個性を受け入れられない人間がいたことは、事実だ。





『英士は傍にいてね…』





いつの時だったか。多分、衿子が初めて俺に『弱さ』を見せた時だったと思う。衿子は目にいっぱいの涙を溜めて、震えながら俺の袖元を握り締めていた。

俺はその時、ある種の驚きと、また微かな感銘を感じた。

強そうに見える衿子の、本当の弱さ。
そしてその弱さを見せるまでに、心許してくれた喜び。

その時、俺は自分が男であるということを再確認した。
…そして衿子が女だということを再確認した。



それは言葉では表せない感情で、その事はまるで本能が訴えているようにも思えた。 弱さを見せた彼女の小ささを、男である自分が守っていってあげなきゃと、思った。

まだまだ未熟だったかもしれなかったけれど、幼かった自分なりに感じた『父性』というものだった。




それから俺は、4年という歳月の間、『守る』という事に徹してきたと思う。





*
*
*





さんは、震える声でごめんと囁いた。
俺はその言葉に導かれるように、彼女をゆっくりと解放していった。彼女の肩先を抱き、うつむく彼女に「大丈夫?」と尋ねると、さんはおずおずと頷いた。



「…あ、りがとう」



もう大丈夫だと言いたげに、彼女は鼻をスンとすすった。
涙か汗のせいか、さんの前髪がこごっていて、それを払い上げてあげた時、ふと彼女と視線がぶつかった。その瞬間、彼女はバツが悪そうに無理やり視線を床に外した。



「ほ、本当にありがとう。も…大丈夫だから」

「ホント?」

「う、うん。平気」



彼女の両手は所在無げに、スカートの裾をモジモジと握り締めた。顔は、泣いたせい以外にも頬を赤らめて、一切視線を合わそうとはしない。



さん?」

「……」



もう本当に平気だと言わんばかりに口をすぼめて、まるで駄々をこねている子どものようだ。 …そんな彼女の姿がおかしく感じて、そして愛しいとも感じた。

俺は、自分の胸の内に、新たな感情が芽生えていることに気づいた。…否、とっくの昔から芽生えていたのかもしれない。その事に俺は、気づかないフリをしていた。



安心感、幸福感、満足感。



胸の内に広がる感情は、温かで穏やかだ。
今、やっと本当の気持ちを受け入れることが出来た。その喜びは、計り知れなく、そして、希望に満ちている。俺はこの喜びを一刻も早く、目の前に居る彼女に伝えたくてたまらなくなった。今、革新的に進んだ自分の感情を彼女に聞いてもらいたい。



今まで、俺は恋愛面で『守る』ということしか知らなかった。

『弱い』彼女を守り、傷つく事がないかと先回りして問題を潰していっていた。その事に満足感を覚えるにしろ、どこかやりきれなさを感じたの事実。もともと俺はそんなに懐が大きい人間だとは思っていないし、きっとそうなんだろう。もう一人の人間を『守る』ということは、俺にはとても大きすぎることだった。そして重量オーバーなことだった。弱った彼女を救うことは、自分の中の『父性』を満足させれるけれど、その反面精神的にとても疲れることだ。

自分に甘えてくる彼女が可愛くない訳ではない。けれど、やっぱり『重い』。

彼女――衿子――は、大切な存在に違いなかった。けれど、衿子の事ばかり構ってやれるほど、余裕のある人間ではなかった。小さな頃からの夢が着々と『現実』になり始めた頃から、衿子の存在が重いと思い始めた。

『守る』という立場に立たされた俺だって、弱る事だって多々あった。壁にぶつかってへこたれそうにもなった。弱った時に、誰かに頼りたいと思うのは、人間の性だろう?…そして頼りたいと思うのは、近しい人。つまりは恋人や、家族な訳だ。けれど家族の場合は、近すぎてどうしても感情的になって、喋れない事だってある。だから、恋人である衿子に、救って欲しいと思った。



だけど、俺たちの間柄は『守る』『守られる』という、保護と被保護という間柄だった。 …決して対等というには、程遠い間柄だった。



俺は、衿子の事が好きだった。だからこそ、この対等ではない間柄を終わらせたいと思った。…あまりにも辛かった。頼られるばかりの立場は、俺には苦しかった。

愛があれば、と変えられるものではない。俺はそう言いきれる。4年という長い歳月の間に築かれたものは、そんな簡単に変えられるものではない。


俺はもっとも信頼おける愛する人の前で『強い』郭英士というキャラを演じていた。…演じるという事は、いつかはボロがでる。

そしてやっぱり、俺もボロが出た。
衿子の存在が重いと思ったとき、俺のボロが出たわけだ。




俺はまた、さんの髪をすくい上げた。彼女はふと驚いたように、何事かと俺の目をまじまじと覗き込んだ。彼女の髪をすくい上げた時、ふわりと柔らかないい匂いと彼女のぬくもりが、鼻元をくすぐった。



「か、郭くん?」



さんは驚いたように、声を上げた。

あのどこか無機質で、ゆったりと時間が流れているように思える図書館で、さん過ごす時間が、もっとも心温まる、安らかな時だった。


学校で、こんなに心開いて、話を聞いてもらえる人が出来るとは思っても見なかった。

…その偶然が、ただただ喜ばしい。



だから、ようやく目を覚ましたこの気持ちを聞いて欲しい。



俺は、彼女の髪から手を離し、そして一度大きく息を吐いた。…思った以上に鼓動が速まっている。



さん…」



彼女は困ったように、首をかしげた。彼女の目はまださっき泣いた名残で赤くなっていて、潤んでいた。



俺はもう一度、大きく息を吐いた。
…彼女を抱きしめた感触が、まだ手に残っている。その柔らかさ、温かさ。肩にポトリと落ちた涙の雫。嗚咽。衿子が泣いた時のような、途方にくれるような感じはなかった。『守ってあげたい』確かにそうは感じたけれど、重荷のようには感じなかった。それは、さんの『強さ』を知っているから。しっかりと上辺だけの強さじゃない、と知っているから。

だから、俺は彼女に安心感を持てる。互いに互いを守り、守られる。もし二人が一緒になれれば、きっと対等な立場で居られるだろうと。…俺はそういう関係を望んでいる。



だから…





「俺はさんのことが、好きです」





彼女は、みるみる目を見開いていった。

時間が止まっているように思えたけれど、外で蝉がジリジリと鳴いていた。








back
ヨンサ様発動!!(笑)