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アフターイメージ






自己満足の世界でしか存在できない








誰かを
想うほど幸せなことはなく、誰かを想うほど、切なくて苦しいものは、ない。
押し込んで、秘めれば秘めていくほど心は重くなって、

目の前にあの人が居ればいいのに…と、

願うはず無いのに、心が叫ぶ。……見切ったはずなのに、想いはあの人を求めて慟哭をあげる。

ただ、今は呆然と涙が零れ落ちて、あの当初の様に泣きじゃくる事はなかったけれど、どうしていつまでも枯れないのだろうか……。幾ら流しても癒えるわけでもないのに、身内は、悲しみでいっぱいで、せめて涙を流して軽くなれと訴える。――涙で、軽くなれるわけないと解っていても。







明日なんかいらないと思った昨日







恋が幸せな内に、終わらせれば良かったんだ。
誰かを想って胸をときめかせて、誰かを好きになった喜びに浸っているあのむず痒い世界で、終わらせれば良かったんだ。――付き合うという現実を、思い煩うそんな苦しさを知る前に。

ため息がこぼれる。

静寂に浸る教室に溜息がこだまする。机の上にとりどりとみんなが楽しそうに笑う写真を広げると、自分の痛みがなんて醜いのだろうと嫌になる。人目がある時は常に笑っていようと心がけている。けれどひと度人の目がなくなると途端に暗い自分が顔を出す。……ああなんて疲れるのだろう。
郭くんがすぐ側にいるというのに、私は無理にでも笑顔を作って、大して興味も無い話題で騒いで。本当はそんな事したくないのに。つい人目を気にしてしまう弱い自分が出て、結局は流されるままにペテンを演じる。

――郭くんの目に、私ってどんな風に写ってるのかな?

…未だ郭くんの事を意識してしまう自分が嫌い。
郭くんは私と別れて、きっと、衿子さんとよりを戻した…はず。
郭くんと別れて、郭くんのフィールドに関する事は一切わからないけれど、クラスで見かける彼は、別れても変わらず絶えず一定のリズムの中で過ごしているように思える。…それは付き合う前の、彼と同じように。クラスメイトを何の感情も込めず呼び、溶け込もうとはせずにでも、それを気にするわけでもなく。彼は郭英士という一定のリズムの中でそれを越えることなく、それに不満を持つことなく、淡々と残された高校生活を過ごしている。…私の目にはそんな風に見える。

「結局、住む世界が違ったのかな……」

私だけをぽつりと取り囲む空虚な教室に、独り言は嫌に響いた。
様々な写真を掻き分けていると、ある一枚の写真に目を奪われた。
――郭くんが…笑ってる。
衝撃ともいうその写真を食い入るように見つめた。珍しい、また独り言が零れた。

それは鮮やかな空色が眩しい一枚。
日に焼けて赤らんだ顔の男子のクラスメイトに囲まれて、その男の人には珍しいほど白い肌を持つ彼が、顔の形状なんて気にせず、ただ無邪気に笑っている、そんな写真だった。――もっとも彼は自分の顔の形状に無頓着だろうけど。

普段、つんとした姿勢をとる彼の、無邪気な笑顔。

……球技大会、だっけな。
そうだ。球技大会で男子がサッカーで優勝したんだ。その優勝に貢献したのが、言わずもがな郭くんで、鮮やかなボールさばきや、指示で、サッカーにまるで興味がなかった私もそのプレーにただ見惚れたんだ。胸の中が熱くなって、そして掻き毟りたくなるほどむず痒くて、言葉にならなくて。郭くんが眩しくて。鼓動が煩かった。瞬きが煩わしかった。ああ今でも手に取るように蘇る――……っ

「…懐かしいな…」
「何が懐かしいって?」

どきりと肩を強張らせて声をする方を振り返ると、にこにこと歩み寄るちゃんがいた。

「何だ、ビックリしちゃったよ」
「ごめんごめん。で、何が懐かしいの?」

ほっと息を吐き出すと、ちゃんはびっくりしすぎだとまた機嫌よく笑った。そして机の上に広げられている写真の山を見て目を輝かせた。

「卒アルの写真?」
「うん。推薦で暇だろって先生や学級委員に押し付けられちゃった」
「ああ、はいち早く推薦で決まったもんね」

何とも言えず苦笑いを浮かべると、ちゃんは人がいいんだからとため息をついた。

「別に人がいいんじゃなくって、頼まれたら断れないってだけだよ」
「…それを世間一般では人がいいって言うんだよ」

そんなものか?と首を傾げると、ちゃんはまた盛大にため息をついた。

「まぁ、優しいちゃんがお人よしのちゃんに付き合ってあげても宜しくてよ?」
「えっ…でも受験は?」

窓から見えるのは色づき始めた秋の夕暮れ。
これから一段と冷え込み、そして冷え込むと同時に受験のシーズンが到来する。まさにそんな時期に、卒業アルバムの雑用なんてしている暇は無いだろう。
ちゃんはふふとまた顔を崩してそしてカバンから無造作に一枚の紙切れを取り出した。

「ま、優秀なちゃんはこれから時間を持て余すの。お人よしのちゃん、付き合ってよね?」

それは合格内定通知だった。

「えっ?!うそ、いつ受けたの?」

確かちゃんが狙っていた大学の推薦は他のクラスの子に枠を取られてしまった。それで一般受験すると意気込んでいたのに……

「世の中にはね、学内推薦ってもんと自己推薦ってもんがあるのよ」

そういってちゃんは誇らしげに笑った。
道は一つじゃないんだよ、と。



* * *



……――世界を分かち合いたい人が居た。
一人は笑顔が優しい、深い傷を負う人で、
もう一人は、本当はどうしようもなく不器用な、とても優しい人。

二人ともとても大切な人だった。どちらが一番なんて順位を付けられないほど、大切で愛しくて。だからこの手から離れて行ってしまった時、とてもとても傷ついた。苦しかった。恨みたかった。恨んでうらんで、呪いたかった。罵倒する言葉一つでも投げたかった。張り倒したいとさえ思った。――バカにするなと。……けど、そんな事出来なかった。

だって愛しい人たちだったから。

この手を離れて、その人たちが幸せになれるのなら……
だから縋りたくなるのを抑えて、駄々をこねたくなるのを堪えて。自分を隠して、笑っていれば。世界は何の障害も無くスムーズに回っていくのだと、信じて疑わなかった。

きっと二人の中の思い出は綺麗なままだと信じたかった。

私の心の中はこんなにも汚らしくても、あの二人の中の私が、笑って綺麗であって欲しいと。…結局、私は自分の保身しか考えていない人間なんだ。惨めだと思われたくなくて、本当は果てしなくわがままで強欲なのを知られたくなくて。ただ笑って、わらって、ワラッテ。そうやって仮面を被る事で自分を守り、そして辛さから逃げていく。

現実逃避…まさにそれだ。

逃げたって何も変わらないのに、それでも弱い自分から逃げ出してしまう。苦しいくるしいと、私は殻に閉じこもる。そして窒息しそうな狭い世界で、夢を見るんだ。――いつか誰か助けに来てくれるって。
私は進む勇気をしらない。――いや、身内のどこかに潜んでいるその勇気という粒を探そうとしない。苦しい悲しい遣る瀬無いと、その粒を探す前に私は泣いてそして殻に閉じこもって、いつまでも傷を舐めまわる。癒そうとしない傷はいつまで経っても治るはず無くって、治りたいと思うのにこのまま苦しいまま悲劇のヒロインを演じるのも悪くは無いと、どこかそんな思いに囚われる。

進むという勇気を得る事が恐い。

何かが革新的に変わってしまいそうで、自分が変わってしまいそうで、恐い。
だから私は閉塞した世界で夢を見る。夢を見るということは傷つく事はないから。恐れは無いから。生ぬるい、傷が少し痛むその世界は、私だけのもの。
――叶うはずない夢をみて、過去に恋して涙を零して。

ああ何より過去に、残像に囚われているのは、私じゃないか。

……ああ、きっと私は、あの時から一つも学ぶ事のできない子どものまま。



* * *



机の引き出しをあけると、そこには束になった何通ものエアメールがあった。封を開けられることなく、刻々と届いた日を無為に過去にしていくだけのエアメール。当初は毎週のように届いたその手紙も、2年経てばその期間が一ヶ月、三ヶ月……そうやって間が空いてくる。それはEメールも同様で、毎日のように着ていたメールが今は着てなくて久しい。

こんなもの捨ててしまえばよかったんだ――……っ

何度、そのエアメールを千切ろうかと、そのEメールを消してしまおうかと思ったのだろう。なんどそのエアメールの宛先を綴ったその字が、愛しくて懐かしいと思ったのだろう。毎日届くEメールの送信者が彼だとわかるたびに胸が鈍くそして高鳴った事だろう。

「酷いよ……っ!」

堪えていたものが溢れ出す。
あの零れ落ちそうな星の瞬きも、寄り添ったぬくもりも、名前で呼ばれたときめきも。優しさも笑顔も、困った顔も。思い出という箱にしまうにはあまりに生々しくて、あまりに輝きすぎて。――郭くんを求めると同時に友田さんも求めてしまう。ああ、ああ……

どうして彼を過去の人として、終わらせられないのだろう。

どうして私は……

一人だけを愛せないのだろう――……っ

床に崩れ落ちた側に、カバンが転がっていた。漁ればさっき、ちゃんと卒アル用の写真を選ぶ際、こっそり引き抜いた写真が一枚。

郭くんが笑ってる…

涙でぼやけた視界には郭くんの笑顔が眩しく映った。こんなに年相応に笑う郭くん。そっと指で彼の顔を撫でた。撫でる指から想いが溢れ出る。愛しくて、大切で……この想いが自己愛なのか、それとも彼への愛だったのか。もし彼への愛だったら、きっと今の状況は私に科された罪。

身をもって思い知れと神さまがくだした罰。

「……郭くん、ごめんなさい」

居るはずもない彼の人に、謝罪の言葉が自然と零れた。
そう、そうなんだ。私は郭くんに謝らなきゃいけないんだ。

あの幸せだった夏の一時、郭くんへの想いが募ればつのるほど、友田さんを思い出してしまって。そしてもしこのまま友田さんとの仲が続いていたらなんて、郭くんと手を繋いだ時やキスをした時、ふと魔がさしたように思い浮かんでしまったんだ。
全然似ていないはずなのに、時々郭くんが友田さんに思えてしまった。

笑ったりふとした仕草が全然違うのに。なのに、ふと隣にいるのが郭くんなのか友田さんなのかわからなくなってしまう時があった。そんな瞬間が心を蝕んだ。――お前、本当にこれでいいのかと。
結果的に私は衿子さんから郭くんを奪う形になった。そしてその奪ったという快感に酔いしれていたのではないだろうかと。元々、郭くんの事は左程好きでもなく、ただ“人のものだ”という事で、価値あるものだと思っていたのではないだろうか。けれどズルイ私はその事に気づかないフリをして、そして郭くんに恋をしていると錯覚していたのではないだろうか?郭くんが好きだと言ってくれた事に浮かれていただけでは……

……だから郭くんは別れようって言ったのかな。

こんな汚い私に気づいて、郭くんもきっと冷めて、そして衿子さんへの想いに気づいて。
そして郭くんと衿子さんは元通り。
4年分の想いの強さや、言葉では表せない繋がりが、彼らを元通りにした。
…きっと私の存在は、その長い歴史の中にふと現れた“魔がさした瞬間”なのだろう。忙しくてすれ違いが多かった二人の間にポツリとできた穴に、ひょっと現れたのがたまたま私で、郭くんはきっとその目新しさに興味をしめしただけ。――…きっとそう。そうなんだよ。

写真の中の郭くんは、輝くほど笑っていた。

こんな綺麗な笑顔をする人と、彼が魔がさしたとはいえ付き合えたというだけで満足しなければ。元々私とは違う世界の人。そんな人と一緒になれた喜びをもっと噛み締めなければ。違う世界と違う世界は相容れない。けれど時として運命の悪戯のように触れ合う瞬間があって、その時、私と郭くんが一緒になった。――喜ぶべきじゃない。感謝すべきじゃない。

何を悲しんでいるのよ?

お門違いじゃない。ほかの人が見たら笑われるよ。

ふとその時パソコンからEメールが着た事を知らせる音が鳴った。零れ落ちる涙をそのままにぼんやりとパソコンを眺めた。――ああきっと彼からだ。
大抵の人からのメールは携帯に来て、パソコンに届くメールの送信者は限られてくる。今まで届いたメールは消せずに全部取ってある。開く事もないけれど、だからと言って消せるわけでもなかった。

「友田さん…」

あの時、あの夏の日。
突然、私の目の前から姿を消した友田さん。好きだった。名前で呼ばれたとき、好かれていると胸が鳴った。それだけで世界が幸せに思えた。――その幸せな世界は直ぐに瓦解したけれど。



*



、落ち着いてきいてくれ」

それは友田さんと星を観に行ったあくる日。いつもはへらりとしている兄の真剣な眼差しに、何か良からぬ事が起きたのだと瞬時にして理解した。まだ蝉が忙しなくて、でも道端には蝉の亡骸が転がっていて。その亡骸を目にする度に、ナゼ蝉は生まれてきたのだろうという疑問が首をもたげた。

「友田が、親父さんの所に行った」

風で転がる蝉の亡骸。後に残るのは虚しさだけ。

――残されるのは、悲しみだけ。

「な、んで…?」

声が震えた。
信じられなかった。

「…ごめん」
「なんでお兄ちゃんが謝るのっ?!」
「ごめん……」

謝らないでよ。なんでお兄ちゃんが悪い事したみたいに顔を歪ませてるの。なんで。なんで?

「だって、私…」
「友田が、にごめんって…」

その言葉を聞いて、目の前が真っ暗になった。
あの綺麗だった零れ落ちそうな星の瞬きや、胸の高まりは、全てその“ごめん”という一言で暗黒とかした。――これから始まると期待して胸を躍らせたのは私だけで、友田さんはあれで終わらせたんだ。ああ、本当に目の前が真っ暗だ――……っ

ひとりでばかみたいだ。

「これ、友田から」

そう言って兄は静かに白い封筒を差し出した。
目の前が真っ暗で立っているのもやっとの私はその封筒を目にして、ふと現実に引き戻った。そして現実に引き戻された私に与えられた感情は、怒りだった。兄からその封筒を奪うように掴み、そして思いっきり握りつぶしてそして叩き捨てた。

「おいっ!っ!!」
「…私には事後報告で済まそうとする人間の言葉なんて聞きたくもないし見たくも無いっ!」

期待させて舞い上がらせて、そして地の果てまで叩き落して。
この絶望の怒りが解るか。この腹の底から湧き上がる絶望と怒りの熱さが、解るかっ?!

「友田の気持ちも汲んでやれよっ!」
「それじゃあっ私の気持ちは誰が理解してくれるのよっ!!」

兄は怯んだ。
怒りはまるで違う自分を生成する。今此処で兄に怒りをぶつける私は、私じゃない。
私は肩で息をしながら兄をねめつけた。……わかっている、これは八つ当たりだ。兄に怒りをぶつけて、そして私は現実にやっとの思いで立っていられるんだ。

「……わかってやってくれよ」

暫くして、兄の泣きそうな声がしんと静まり返った部屋に響いた。

「友田なりの優しさなんだよ……」

そして私は生まれて初めて兄が泣く姿を見た。

「バカなんだよ…アイツ」

悔しそうに顔をゆがめる兄を見て、私と同じ気持ちなのだと、その時気づいた。
――悔しくて腹立たしくて、そして悲しくて……

そうと解っても、私は友田さんの手紙を読む気にはなれなかった。裏切り者が、少なくともこの世界で2人をどん底まで悲しませている。そう思うとやっぱり悲しみより怒りが勝った。

それから暫くEメールやエアメールが引っ切り無し届いたけど、ついぞ私はそれを読むことは無かった。一時期は送り返そうかとも思ったけれど、最後の良心がそれをさせなかった。

そして今。
私は震える手でマウスを動かした。そして鼓膜が破れそうなほど鼓動が激しくて、視界が揺らぎそうになる。そして固唾を飲んでクリックした。

その瞬間私は目を強く瞑り、そして恐る恐る目を開いた。

まず文頭に、親愛なるさまという文字があり、私は空いている手で胸を押さえながらそろそろと字面を追っていった。読めば読むほど心拍数があがっていく。緊張して呼吸も浅い。文章を理解するまでいつもより時間が若干かかって、そしてその文章を読めば読むほど罪の意識に苛まれていく。
そして、中盤に差し掛かった時、信じがたい言葉を目にした。



愛している



一瞬全身が凍りつき、時間が止まったようにさえ思った。
そしてやがて、
心の中でポトリと音を立てて落ちていくものを感じた。







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