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アフターイメージ






――願い事が一つ叶うなら、僕は絶対……








……もう正直に白状するよ。
俺は君が好きなんだ。
自分から突き放したけど、本当は好きで。好きすぎて、突き放したんだ。 ご都合主義だとあざ笑ってくれたっていい。怒って殴ってくれてもいい。
だけどもう、俺は自分の気持ちに嘘をつけないんだ。

苦しくて、苦しくて。
夢に君が出てくるんだ――……







バイバイと笑って泣いた人







久しぶりに行った学校は、静かで隙間風で寒かった。
受験生は自由登校になって、3年の校舎は静寂に包まれて、自分の足音がよく響く。一ヶ月も経たないというのに、学校という場所は不思議とノスタルジーを感じさせる。日にやけた掲示板や、そこに刺さった曲がった画鋲。もう期限が過ぎた英検のポスター。……全てが懐かしくて、この埃くさい寒い廊下さえ愛しいものだ。――きっとそれは後もう数ヶ月だけの学生生活の終わりをはかなんでいるせいかもしれない。

あちらの寮に入って、アンダーだからといって特別扱いをされる事も無く、まだ正式に入団したわけではないけど、サンフレッチェの選手で。2軍の人たちと練習したり、サテライトリーグの試合に出る事も決まった。 ……練習終わりにふと思う。それは見渡せば自分より年上の人ばかりで、自分が一番の若輩者で。それでも社会にでる、プロになるんだ。と現実感が胸を圧迫させる。それは喜びであり悲しみのせいだ。俺と同い年の人たち――うちの高校の大体の人たち――は、少なくとも2年4年と学生という身分で社会からまもられる。20歳になれば成人した事になるけど、学生である人たちは「大人であって子ども」という立場にあまんじられる。そしてのびのびと大学生活を満喫して少し飽きてきた頃に就活――社会にでる準備――を始めるんだ。

けれど俺は違う。
俺の仲間たちも違う。

高校という所から出れば、社会人扱いされてなおかつプロという肩書きが圧し掛かる。……小さな頃から夢を見てきた。それが叶う。だというのに、最近そう考えるたびにふと溜息がこぼれる。
大学に行きたいとか、まだ子どもでいたいとか。
そういった話じゃなくて、もっと心奥底に眠る感情が胸をひっかく。

その感情を嫉妬というのか、わからないけど。でも確かに俺は、学校にきてこの校舎に佇んで感じたものがある。その感情なら容易く説明できる。

それは喪失感だ。
――まだ失っていないのに、感じるんだ。



*



職員室がある校舎に足を踏み入れると、さっきと打って変わって賑やかだった。
うちの高校の造りは、正門からみると横長に一棟だけのように見えるが、建物の後方にグラウンドを擁していてそれを抱え込む形に建っている。――馬蹄形というのだろうか。校門から真正面に聳え立つのが中央棟。ここは職員室や一年生の教室など多くの教室がある。校門から向かって右の棟は2年生の教室と渡り廊下があって体育館につながっている。そして左にあるのが3年生の教室がある棟だ。そして正門からは植え込みがあって、芝生もあったりする。その中庭にポツリと単独建っているのが、図書館。あの図書館だ。図書館への道沿いには紫陽花の植え込みがあって、そして梅、桜、楓。その他多くの花や木が植えてあって、図書館自体がその草花に身を隠しているようだ。そして図書館内から眺める景色は、静寂で綺麗だ。まるで学校に居る事を忘れるほど静かで、曖昧にゆっくり流れる時間が好きだった。――今はもうそろそろ梅の花が綻びかける頃だろうか。まだ冬の寒さが身にしみるけれど、季節は曖昧なようで確実に変わっていく。ただ人がその変化に疎いだけ。

そう疎いだけだ。

さっきからすれ違うのは当たり前だけど、他学年の人ばかりだ。明るい声で世間話をしていたり、授業の不満を言っていたり。とても明るく、そして喧しくもある。丁度時間帯が休み時間のせいだけど、久しぶりに学校という雰囲気に触れたなとしみじみ感じた。ここの校舎の掲示板のポスターはどれも殆ど期限内のものばかり。…それが一層喪失という言葉をかきたてる。
一歩いっぽ噛み締めるように階段をのぼる。今日来たら次は卒業式までここに来られない。今日は足りない出席日数を補うための課題を提出するのと、担任に挨拶をするために東京に戻ってきた。久しぶりに袖を通した制服は、着古したはずなのに自分のものではないように思えた。

もう一段で二階に着く。
この校舎は棟ごとに昇降口、玄関をようしていて中央棟に行くのも少し面倒くさい。――そう思っていた。けれど今日だけは、しみじみと浸る時間があってよかったな、なんて思った。

そんな事を考えながらふと顔をあげた。
二階への階段を登れば直ぐに職員室が目に入る。
廊下内を休み時間を終えるチャイムがこだました。
慌てて走り去っていく人ごみの中から、彼女の顔が、彼女が見えた。

俺は呆然と階段付近で立ち尽くした。
――久しぶりの彼女だ。
ああ、どうしているのだろう。

彼女は俺の存在に全く気づいていないようで、廊下の掲示板を眺めていた。
そして髪がふわりと揺れて、こちら側に向きを変え、歩き出した。
まだ俺と彼女の間に休み時間内に移動し損ねた生徒が数人いる。彼女は以前気づかない。けれど俺は通り行くその生徒と生徒の間から窺える彼女から目を離す事ができない。

ああ、近づいてくる――……っ!

彼女はゆっくりと歩き、そして間にいた生徒たちはいつの間にか居なくなった。
自分の心臓がドクドクと痛いほど胸を打つ。その鼓動の大きさは身内の中で轟き、まるでこめかみらへんにも心臓があるようにどくどくと脈を打つ。
ごくりと喉が鳴った。

まるでそれを拍子にしたように彼女が顔を上げた。
窓から差し込む冬の光はさらさらとあたたかくて、熱くて痛い。その光に照らされて彼女の表情の移り変わりを鮮明に映し出す。みるみる瞳は開いていって、肩で流れる髪はビクリと反応で揺れた。

「久し…ぶり、さん……」

ああ、喉がカラカラで上手く言葉を発する事ができない。
一体今、俺はどんな顔をしているのだろうか。
彼女のように驚きを表しているのだろうか。
笑っているのだろうか、それとも無表情なのだろうか……

顔の筋肉がどう動いているか、まったくわからない。けれど手が微かに震える。色んな思いが洪水のように頭の中で渦巻いて、次に言う言葉が見つからない。…だって今立っているのもやっとなのだから。――ああ、さん。俺はこんなに情けない男なんだよ。

君が好きで、愛しくて。
会いたくて、失ってその存在の大きさに気づかされて。
東京に帰ってきたら、もしかしたら会えるかな。
そんな淡い期待を抱いて、新幹線の中景色をぼんやり眺めて思っていたんだ。
本当はこんなに女々しいヤツなんだよ。
だけど、君が好きなんだ。
夢に君が出て来るんだよ。その時の君は幸せそうに笑って、俺の手を取るんだ。

「……元気だった?」

その言葉を発するまでどれぐらいの時間が経ったのだろうか。今や時間の感覚も陽射しが痛いとかそんな感覚もぼんやり靄がかかってはっきりしない。

ただ言葉が、あふれそうになる言葉が身内の中でぐるぐると廻るんだ。そうして自分が立っているという事を感じるんだ。

「本当に、久しぶりだね…」

言いたい事はたくさんあるのに、上手く言葉が出てこない。
ああ、冬の陽射しはこんなに熱いのに、どうして指先がこんなに冷たいのだろう。……なぜ全部温めてくれないんだろう。

ふとその時、太陽が翳った。見る見るうちに廊下は薄暗くなって、あんなに熱かった陽射しに温められた制服の温もりがこそばゆかった。

「……久しぶり、郭くん」

久しぶりに聴いた彼女の声は、思い出どおり柔らかくて耳に心地よかった。
けれど久しぶりに見た彼女の笑顔は、涙で濡れていた。

「本当に、久しぶりだね」

彼女の瞳から大粒の涙がぽろりと零れ落ちた。







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