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アフターイメージ






星はいつまで経っても掴めないまま









秋風は、冬の気配を含んで私たちの間に吹いて、去って行った――……


『さようなら』


その言葉に傷ついて、でもしがらみから解き放たれて。
深くふかくその人を愛していたはずなのに。ずっと一緒に居たいと願っていたはずなのに。愛しているのだと思っていたけれど、実際は『その人を愛している自分を愛していた』だけだった。正に恋に恋するという、自己愛だった。…その人を失ってようやく理解できた。解き放たれた。世界は自由だ広いんだ。ああ、明日が待ち遠しい。あの日々が過去になればいい。小さく小さくやがて風化してしまえばいい。



世界はホントウは美しく、そして開放感に満ちている。



そう自己暗示をする。そうじゃなきゃ、心が壊れてしまいそうだ。
不協和音を鳴らし続けて、神経をキリキリ追い詰められる――そんな感じだ。…ああ、どうしてみんな自分勝手なんだろう。私も含めて、どうして自分の事ばかり愛して、愛しすぎてしまうのだろう。どうしてみんな綺麗じゃないんだろう。

「愛している」

そんな胸躍る言葉も欲にまみれている。
…けれど純粋な「愛している」を私は知らない。きっとあの人も知らない。みんな欲と欲をぶつけて生きている。そう考えると吐き気がした。…こんな寂しさ吐き気を覚えたのは、あの頃以来だ。


私はジャケットも脱がず、ぼんやりベッドの上に座り込んだ。カーテンを閉めていない窓から、星空が窺えた。でも外の外灯が眩しくて、あんまりはっきり見えなかった。

――あの夏の星空は美しかった。

ああ、思い出だけにしとけばよかったんだ。
思い出は自分の描いたとおりに美しく、甘いから。そのままにしとけばよかったんだ。



「冬はもっと星が綺麗に見えるんだよ」

ああ、そうね。
だから今は、秋だから綺麗に見えないのね。
――だから、あなたも綺麗に見えないのね。
きっと私も綺麗じゃないのね。
人間って綺麗じゃないのね――……っ!

星空が歪んで見えた。
――心が汚いからかな?なんて笑いたかったけど、とめどなく流れる涙で上手く笑えなかった。





変わらないものと変わるものの涙







私はその時、まだ中学一年生だった。「自我」というものに目覚めたばかりだった。そこから今の私が始まった――のだと思う。何が好きで、何が嫌いか。明確に解って、個性という言葉も理解して、自分もこんな人間なのだと少しだけ解った気でいた、ませた中学生だった。

その頃、多くの言葉を理解するようになった。
知識と知っていた言葉が、まるでパズルピースをはめる様にぱちんと馴染んで、そして心に溶けていった。――何がきっかけか。それはきっと祖母の死がきっかけだと思う。末期がんで長い事闘病生活を強いられて、弱っていく身体にたくさんの管がまきつけられて、他の病気も併発してしまって。いつしか食事も管から注入されるものになって、目を開けてもぼんやりして、言葉も殆ど話す事は出来なかった。――そして長く苦しい闘病生活の果てに、祖母は亡くなった。――そして私は死の大きさ、意味を知った。お通夜も告別式も全て泣いた。お骨になった祖母の真っ白さが、悲しくて、失うという痛みを知って、涙がとまらなかった。

人は生まれてくる時も、死ぬ時もヒトリだ。
それを理解した時、寂しくてショックで母親に泣きついた。思い出すのはお骨になった祖母の白さ。骨の白さだった。母は私が泣いている理由も訊かず、ただ頭を撫でてくれた。

――けれど死ぬ時、この手はないんだ。
そう思うと更に泣けた。

人は死ぬと星になるというけれど、星は星の瞬きは地球に届くまで何億光年とかかるという。その間、うんざりするほど長い間、孤独じゃないのかな?
なぜこんな果てない時間を独り進まなければならないのか。
なぜ自分には進むという選択肢しかないのだろうか。

だって地球に届く前に途絶えても気づいてくれる人はいない。
仮にたどり着いたとしても、数ある中で気づいてくれる人もいず、都会は空気が濁って夜でも明るいから見えないかもしれない。

考えれば考えるほど星という存在はさみしくて、もし私が死んだら、神さまが「星にしてあげるよどうする?」と言われても、なりたくない――と、母に頭を撫でられながらそう思った。



*



星空を眺めれば眺めるほど涙はとめどなく流れる。
今も死んだら星にはなりたくないと思う。だって寂しいもの。綺麗なものだとは思うけど、でも私はその綺麗なものになりたいとは思わない。…だってその過程が寂しい。ずっと苦しいほど孤独だったから、神さまは星に瞬きを与えたのだと思う。けれどその美しさも一瞬。輝いたらもう終わり。瞬きをしていたら見えないまま無くなる。それに、私の知っている人が居ない世界で、輝いてどうするのだろうと思う。私というという存在を知らない人に一瞬の瞬き――微笑み――を見せて、果たして私は幸せなのだろうか。――ああ、だから私は綺麗じゃないんだ。こんな事考えるから、綺麗じゃないんだ。

ずっと笑っていたい。
幸福という温かい時間の中で生きていたい。
そんな生温かい世界で眠っていたい。

だけど現実は、優しくなくて。
私はどうしてなんだろう、といつも泣いてばかりで、無いものねだりしたり嫉妬したり。汚い考えを持ってしまう。――きっとあの人もそうだ。友田さんもそうだ。

毎日メールを送ってきたのも、手紙を送ってきたのも。
汚い自分を認めたくなくて、綺麗な自分を演じたいが為にしてきたんだ。
そう思うとぞっとした。

哀れな自分でいたい。
そこは悲しくて日に当たらないけれど、でも不思議と優しい。絹に抱かれることはないけど、でも麻に慣れればそれでいいのだと思える。――ああ、あの人も何一つ変わることはなかった。

結局は自分勝手な人だ。

そして私も自分勝手だ。

許す許さない、そういう話じゃない。人として何かが欠けているように思えた。そう、それは責任感というのかもしれない。――自分の非を認められない。たとえ認めた姿勢をとっても、心は受け止められていない。そして厚い心の壁が跳ね返す。そしてその頑丈な壁に守られた中は、呆れるほど身勝手で傲慢。だから指摘されると、怒るか、逃げる。そして認めない。いつまで経っても自分は正しい角度で世界に立っていると思うのだ。

そして人は捉え方が変わると「自分という人間が大きくなった」と勘違いするんだ。



*



「だからイヤなんだよぉう……」

彼と直接会った時、直ぐに言えばよかった。
直ぐに言えば、彼の黒い自己愛に染まる事も無くて、いまも瞼がジンジン痛む程泣かなくてすんだんだ。 ……私はいつも後悔をする。自分が発言した言葉とか行動とか振り返って、もっとこうすれば良かったのじゃないかって。そうすれば上手くいったかもしれない。
……もし何かしていたら、郭くんと別れなくてすんだのかもしれない。

別れようっていわれた時、駄々をこねればよかった。

別れたくない。
郭くんに気持ちが無くても、私は郭くんが好きなんだ!って。
泣き叫べばよかった。見っとも無い姿を曝け出せばよかった。
そうしたら、結果がどうなっても今のようにジトジトと引きずる事も無く、「郭くんとの想い出」って綺麗な形で残せたかもしれないのに。

今も郭くんとの事を思うとジクジクと胸が痛んで、引っ掻かれたように疼く。

確かに友田さんの事もあった。
けど、解った。

私はただ、「友田さんとの思い出」を愛していただけだった。
あの時確かに友田さんが好きだった。だけど、それはあの頃の話。
友田さんが何も言わず日本を離れた瞬間、私の思いはストンと終わっていたのだ。
ただしがみついていたんだ。
彼が残したかすかな香りを。――恋――を感じさせる残り香に。

――私バカだ……っ!

とめどなく涙が零れ落ちる。頬を伝い首筋に流れる頃、すっかり涙は熱を失う。
そこに赤く残る痕に触れる涙は、気持ち悪いほど冷たい。

私バカだ…っ!?

思考がごちゃごちゃになって、もう心が叫ぶまま涙を流した。
心も体も痛くて、自分という身体から逃げ出したくなる。
なのに私という生命はこの器に留まり続ける。
きっと死ぬまで。

そう思うとぞっとする。吐き気さえ感じる。
自分の事なのに、自分にナゼと問いかけたい。

ナゼ、私は後悔ばかりするの。
ナゼ、その時に思いつかないの。
ナゼ、流されやすいの。
ナゼ、自分という意思が揺らぎやすいの……っ!

…きっと神さまはこんな汚い私を死後、星にはしてくれないだろう。
そう思うと安心するけど、でも綺麗なものへの、得られないだろう美しさへの憧れは時として嫉妬よりたちが悪い。なりたくないと泣いたあの頃は、きっと今の私より数段キレイだった。だから得られる美しさに恐れた。けれど今は、汚らしい私は。

なりたいと願ってしまう。

たとえ孤独だろうと、途絶えてしまおうと、そうなりたいんだ。

変わってしまった涙と、
変わらない涙は、
成分上全く同じものであるはずなのに、なぜか違うもののように思えてならない。

それはきっと知ってしまったから。

思い出したくないのに、頭の中であの場景がこびりつく。

こびりついた、汚い場景。

私は汚い。
汚いんだ。

だからもう美しいものを得る資格はないし、郭くんを好きだという資格も無い。
失った私は、より一層空っぽだ。
ただ痛みだけが、胸を膨らます。






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