空に浮かぶ月を見て、あなたは一体、誰を思い浮かべた…?












月が夢を奏でる
アフターイメージ










「浴衣?」



暑い暑い、夏の日。
クーラーを全快にして、アイスにしゃぶりついている時だった。
母親がそう、と嬉しそうに笑った。



「え〜…でも私浴衣持ってるよ?」



「あら。あれはもう子どもっぽいでしょう」



「…買ってくれても今年どこかに着てく予定はないよ?」



洗濯物をたたんでいた母親が、なにか思いついたように「浴衣買ってあげるわよ」とにこやかに言ってきた。 私は丁度お昼のワイドショーをぼんやり眺めていて、母親の言った言葉を思わず聞き流そうとしてしまった。



「友達みんな受験生やってるし……」



推薦を貰える目処がたった私はいち早く「受験戦争」から脱却できたが、みんなはそんな訳にはいない。 私の通う学校はたいていの人が「上位私立」か「国公立」の大学を目指す人ばかりだ。
私のように普通って言われるような大学に行く人が居ないわけではないけど、比べれば少ない。



「あら。でも今年予定がなくても来年あるかもしれないじゃない?」



「そう…かもしれないけど」



そういって私はまたアイスにかぶりついた。
それを見た母親はやれやれといった風に盛大にため息をついた。



「まったく。お兄ちゃんだってぐらいの年には彼女の一人か二人は居たわよ」



…母さん。二人いちゃまずいでしょ。と心の中でぼやいた。



うちの家族はオープンだ。
私より二つ上の兄が、彼女と同棲したいって言ったとき、誰も反対はしなかった。…というかむしろ両親は喜んで兄に賛同した。



両親に許可を貰った兄は、彼女と同じ大学に通い、おなじアパートに仲良く住んでいる。 首都圏の大学に通っているけれど、都心から外れた大学に通う兄は、端から自宅から通うことを考えていなかったようだ。同棲したいって打ち明けた時、兄はもうどこに住むか目処を立てていた。



「そんなこと言われたって、簡単に彼氏が出来るわけないじゃない」



「まったく。そんな事を言ってるお姉さまの弟も、この前彼女が出来たみたいよ」



「えっ?!奏一にも?!」



その発言に心底驚いた私は、思わずアイスを落としそうになった。



「あの部活バカが?」



「あら、その発言は聞き捨てならないわね。このお母様の子なのよ。器量が良いに決まってるじゃない!」



母親は誇らしげに胸を反って見せた。



「あ〜…はいはい」



あの部活バカの奏一にも彼女が…私はまた心の中で呟いた。
弟の奏一はサッカーの名門『武蔵野森』に通っている。…というか寮生活をしている。 四六時中サッカーをしているから彼女を作る暇なんてないだろう。って思っていたけど。



「よく出来たね、奏一。だってあそこ男女別々になってるじゃない?」



武蔵野森は共学の学校。ってなっているが、内実は女子校、男子校。と言ったほうが説明が早いだろう。 男女別々の校舎で、もちろん寮も別々だ。



「…若いんだもの、小さな機会も見逃さないんじゃないの?」



母親は訳知り顔で、淡々と洗濯物をたたんでいく。



「そんなもんなの?」



「そうでしょう」



「ふ〜ん…」



母親は呆れたように、たたんだ私の洗濯物を渡してきた。



のように暢気な人ばっかりじゃないのよ、世の中は」



「…別に暢気じゃないもん」



私は洗濯物を受け取り、自分の部屋に戻ろうと立ち上がった。
母親はまた、盛大にため息をついた。



「…やっぱり中学まで女子校だったのがいけないのかしら」



「……」



私はあえてその事には何も言わず、リビングを出ようとした。



「洗濯物片付けたら、出かけるわよ」



「えっ?」



あら、と母親は眉をしかめた。



「もう忘れたの?浴衣買いに行くのよ」



そう言って、母親はかけていたエプロンを外し、身支度を始めた。



「あ〜はいはい」



「15分ぐらいしたら出かけるから、も早く身支度済ませなさいよ」



は〜い、と後ろ向きなまま返事をしてリビングのドアを閉めた。

廊下はじっとりとうんざりするほど暑かった。
私は辟易としながら階段に足をかけて、何を着ていこうか考えた。











*
*
*











私と母親は、すっかり日が暮れてから帰宅した。
今日買ってもらった浴衣は「絵羽柄」と言われる、大きな柄が入っている浴衣だ。紫黒と言われる、黒に近い紫地に白い桔梗の柄が入っている大人っぽい浴衣だ。
何軒もはしごして、ようやく母親のお眼がねに適った物を見つけ出せた。その間、私が良いって思ったものはにべもなく却下されたけれど……
だから私は少し不満だった。



「お母さん。やっぱりこれ大人っぽく過ぎない?」



もう何度目かの私の発言に、母親はやれやれとかぶりを振った。



「浴衣は少し大人っぽく過ぎたほうが、丁度いいの。が選らんだ柄のじゃ、中学生に間違われるわよ」



母親はダイニングテーブルにビニール袋を置いた。
疲れた、と断言、宣言した母親は今日の夕飯をファーストフードにしようと、Kタッキーでセットを買った。



私は抱え込んでいた紙袋を同じようにテーブルの上に置いた。
私がいいなと思ったのは、濃紅(こきくれない)と言われる、少し黒ずんだ紅地に、白い花模様が点々と散りばめられたものだった。
不服そうに口を尖らしている私を見て、母親はやれやれと言った感じに呟いた。



にだって『ドキッ』とさせたい男の子ぐらいいるでしょ?」



その発言に、私は思わずドキッとした。



「お母さんが何も知らないって思ってたでしょ」



「……」



ってわかり易いもの。まぁ、あんまり上手くいってないことも解ってたけどね」



口から心臓が出そうだ。という表現を私は今、身をもって実感した。



「お…母さん…?」



呆れたように、笑った母親。



が言いたくないなら、それでも構わないわよ。でも折角、浴衣買ったんだから、今度の花火大会に誘ってみたら?」



私は色々と反論したかったけど、上手く言葉が見つからなくて、ただ、うんと頷いた。



今日は浴衣に帯に下駄に巾着。それとお小遣いをはたいて髪飾りを買った。
母親は、母親なりの気遣いをしてくれのだろう。
物の重みに加えて、母親の気持ちの重みが加わった。



母親は、ふ、と笑みを浮かべて、Kタッキーの箱を開け始めた。



「さっ、ご飯にしましょ。お父さんはまた遅くなるって言ってたしね。早く荷物置いてきなさい」



「はい…」



私は、言われるままに動いた。











*
*
*











食事を済ませ、真っ先に自分の部屋へと向かった。
今日買ってもらった、浴衣を広げ、鏡の前で当ててみた。



――やっぱり大人っぽい…かなぁ?



母親や、店員さんには似合う…って言われたけれど。
今まで、こんな大人っぽい物を着たことが無くて、なんとなく抵抗感を感じてしまう。 はぁ、とため息をついて、ベッドの上に無造作に置いた、かばんを引き寄せた。
かばんの中をがさごそと漁ると、難なく目的のものが見つかった。



この前、郭くんにメアド教えてもらったんだよね……



ぎゅっと携帯を握り締めて、携帯を開けた。
ドキドキと心臓が忙しく打ち付けて、冷静になろうとしても全然なれなくて、何度も文章を消しては打ち込んで…を繰り返した。



友達に送るなら、全然緊張しないで、送れるのに…ってなんだか自分に腹が立って、なんだか情けなかった。
こんな簡単なメールを中々送れないのは、きっと郭くんの事を『友達』って思ってないからだ。例え、彼が私のことを『友達』と思っていても、私はそうじゃない。



私は、郭くんの事が好き。



だから、こんな簡単なメールを送ることに躊躇って、緊張して、送信ボタンを押すことに勇気を感じてしまう。



…もう何回、送信ボタンを押そうとして、怯んで、また押そうと試みてきたんだろう。 多分、メールの文章が完成してからゆうに20分は過ぎてるだろう。



はぁ、と自分の意気地の無さに思わずため息がもれる。



いっそ送るのをやめようか、とも思ったけれど、目の端に映る浴衣を思うとやめるわけにはいかない。とある種の脅迫感を感じた。
そして、私のなけなしの『女としてのプライド』も。



――そうだよ。部活バカの奏一が彼女が出来るぐらいの世の中だよ!何が起きるか解らない世の中じゃん!



弟には失礼かもしれないけど、自分で自分自身を鼓舞して、



私はボタンを押した。。。



その瞬間、血の気が引いていくのを感じた。



ど…どうしよう。送っちゃった……送っちゃったよ?!



奇声をあげたい位だ。私はどうしようどうしようとフローリングの上で悶絶し続けた。 そして自分の脛が机の足に思いっきり当たって、また悶絶した。
言葉にならない痛みを感じて、脚を抱え込んで丸まった。



その痛さで、私は少しだけ冷静になれた。



――そう、大丈夫だよ。だってメールには、決まり文句の挨拶と、花火大会への軽いお誘いメッセージだけ。捉えようには、『友達として一緒に行かない?』って軽く受け取ってもらえる…ハズ。



だから、深い意味なんて無い…て受け取ってもらえるよ。彼女さんのこともあったし……







『彼女』







私はその二文字に、目を見開いた。
そして、とんでもない失態を犯した気分になった。



バカだ。私ってバカだ。彼女さんとの事があって、ただでさえ傷ついてて、女の子…って私だけど、一緒に出かけたい訳ないじゃない。…きっと彼女さんとのこと思い出しちゃうよね…?



傷口に塩を塗りこむようなこと…しでかしたかも。



私は急いで、断りメールを送ろうと携帯を手にすると、タイミングよく携帯のバイブが鳴った。
急いで携帯を開けると、メール受信。とディスプレイに表示されていた。



誰だろう、とメールボックスを開けると、案の定、郭くんからだった。
どぎまぎしながらメールを開封すると、私と同様に、挨拶の返事と、



それから……



予想外の返事が書かれていた。



『いいよ。ちょうどサッカーの練習も夕方で終わるから、7時半に駅で待ち合わせでいい?』



という、簡潔な文章が映っていた。



こんなあっさりとした返事だけでも、天にも昇れる気持ちにさせてくれる。
『恋』というのは、偉大だ。
今まで懸念していた事なんてすっかり忘れて、郭くんに返信メールを送った。



送信ボタンを押した後、私は、はぁと息を吐いた。そして、高揚感に浸りながら、私はカーテンを開けた。
そこにはポッカリと浮かぶ、満月が冴え冴えと夜の世界を照らしていた。







まるで夢を見ているみたい。







うっとりと夜空を見上げていると、また携帯のバイブが鳴った。
そして私は、カーテンを閉めて、携帯を開けた。。。


















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季節外れも、ここまでくるとあっぱれだと思えます(笑)
ジトジトした展開ばっかりだったので、そろそろ恋の楽しさを描かなきゃ!(笑)と焦りました。 精神学的にも、夏は自分が思うよりも、ハイになれる時期らしいです。特に男性のほうが。
…たしかにそうだったな。と自分の経験からも納得できます(乏しいけど…)
あと、ヒロインが買ってもらった浴衣のデザインは私が買ってもらったものをそのまま描写してます(笑) 下のほうに、参考までに文中に出てきた色を載せときます……



紫黒







濃紅