真っ黒だった世界が、今、鮮やかに色づく。
















だから君は微笑んで
アフターイメージ














英士…あたしやり直したい!



暗闇に佇む衿子は、まるで子どもみたいに泣きじゃくっていた。
その、あまりに打ちひしがれた姿を見ると、あまりに不憫で「ごめん、俺が悪かったよ」、そう謝りたくなってしまうほどだった。
震える衿子の肩を抱き寄せようとしたら、







衿子は、さらさらと砂となって、風に踊らされる塵のように目の前から消えていってしまった……







衿子っ?!







はっと目を覚まし、飛び上がるように起き上がった。
――あぁ、まただ。
肩で息をしながら、汗でびっしょりと濡れた額をおさえる。
なんて胸くそ悪いんだ。――思わず、あいている手で胸倉の寝巻きを握り締める。



もう何度目なんだ。



俺は未だ、衿子の呪縛から離れられない。――解ってる、衿子が悪いんじゃない。
解ってるから、こんな夢を見てしまうんだ。



…きっと自分自身への戒め。



ややあって息が整い始めると、周りを見るだけの余裕が生まれてきた。
ブラインダーの微かな間からは、もう光が差し込んでいる。
目覚まし時計を見ると、いつも起きる10分前ほどだった。目覚ましのスイッチをオフにして、またため息をついた。
…正直寝た気がしない……
眠ったはずの自分の体は、朝だというのに倦怠感でいっぱいだった。



はぁと、また額に手をあてて、ベッドから起き上がった。



…おかしいのかな、俺
たかが色恋沙汰で、と笑う輩もいるだろう。
――本音を言えば、俺もその輩の一人だった。
付き合っている間は、こんなに衿子を想っているなんて、ゆめゆめ思わなかった。 ……もう、想っていた、と言わなければならないけど。
完了形にしなければならない。



さんに、衿子のことを打ち明けた時は『これからもずっと好きだとおもう』とか、結人にもそう言った。
けれど、俺はもう”わかっている”ことに、気づいた。



衿子とのことは、どう推し量っても、『過去』だ、と言うこと。



世の中には、復縁とか、『別れてから、友達に戻った』とか、そういう人たちもいるみたいだけれど、 俺と、衿子は、そういう風な関係にはなれない。
どちらが悪いとか、そんなんじゃない。



そういう巡り会わせで、そういう組み合わせだったんだ、と感じる。



いくら好きでも、元の関係に戻れはしないだろう。
――まるで、海辺で砂山を作っていた気持ちだ。



寄せては、返す波を避けながら、衿子と二人、砂山を築いていた。
4年間分…って言ったら、それなりの大きさだろう。
――物事に、大きいも小さいもないけれど……



時折、波に侵食されて壊れかけた事もあったけれど、二人でまた砂山を直してきた。 前とは違う形だったけれど、それでもお互い納得できたし、満足できた。 その間のじゃれあいや、お互いに作り出したペースは、今まで感じたことが無いほど、俺の心をいっぱいにしてくれた。
きっと衿子も、そうだったんだろう。屈託の無い笑顔を時折見せてくれた。――だから俺も幸福で、笑うことが出来た。 幸せ、ってこういうことなのかな。…経験値のない俺は、衿子と育むそれを最高の「幸せ」と感じられ、陶酔できた。



お互いが、お互いを思い遣る。



そんな些細なことが、お互いの穿った小さな穴をそっと埋めてくれた。







けれど、砂山はいつしか崩れていく、そんな物だ。







――いつしか、砂山を築き上げていく互いのペースが乱れ始めた。
どちらかが、放棄しかけたり、作り過ぎたり……
そして、再度押し寄せた波に浸食された部分をどちらとも補おうとはしなかった。
――もしかしたら見えていなかったのかもしれない。
お互い忙しくて、ほかの事に…それこそ相手のことすら、見えていなかったのかもしれない。だから、 えぐられる様な形になった砂山は、そのまま野ざらしにされ、雨水に浸食され、修復しようと手をつけかけた時には、



もう原型をほとんど留めていなかった……







…まったくなんてお笑い種だ。
俺は不意に、情けなさで笑みがこぼれた。――それは嘲笑、とも言うんだろう。



ははは、と目元を押さえ笑っていると、いつもと変わらない母の声が聞こえてきた。
起きなさい英士。遅れるわよ、と。



こんなに気持ちが落ち込んでも、時間は等しく回ってくる……



今の俺には、それがなんだか、苦しくてもどかしくて、腹が立った。
でも、どうしようもないんだ…と諦めるしかなかった。
否、諦めようと努めてみる、



フリをした。



いつもの通り身支度をして、ダイニングテーブルに置いてあるはずの弁当を取りに行った。
丁度母親は、台所で何かを刻んでいる途中だった。
俺が入ってきたのに気づいたのか、母親はおはよう、と言って振り向いてきた。 俺も、毎朝と変わらない調子でおはよう、と言った。



「朝ごはんは?」



…正直、食べる気なんてさらさらなかったけれど、食べなければ動けない。ほとんど義務のように、食べる、と言った。



「母さん」



「なぁに?」



トントンと同じテンポで、刻む音。
温かい、ご飯の湯気の匂い。
……穏やかでなかった気持ちが、少しだけ落ち着いていくのを感じられていった。



「今日、夕方から出かけるから」



「そう。結人くんたちと?」



「…違う。友達と」



そう言うと、母親はああ、と合点したように頷いた。



「花火大会ね」



そう、と頷いて、小さくいただきますと呟いた。 ――いつもと変わらない、日本食の朝食だ。



母親は、ふふと笑った。



「衿子ちゃんと?」



そう言って、味噌汁を置いてきた。
ドキッと心臓が鳴った。
――そうだ、まだ母親には言っていなかった。



「…違うよ。クラスの友達と」



罪悪感が首をもたげた。――誰に対する罪悪感かは、解りきっていた。けれど、事実は事実だ。
母親は、あら、と言って首をかしげた。そして何か言おうとしたけど、結局何も言わないで口を噤んだ。 そして壁にかかっている時計を見て、急いだほうがいいわよ。とただ一言呟いた。
言われるままに、急いで朝食を詰め込んで、弁当をかばんに詰め込んだ。



「いってきます」



いつもの様にそう言って、いつもの様に台所から母親の「いってらっしゃい」の言葉を聞くか聞かない内に、玄関から出た。



外は、いつものようにじめっぽく、そして朝だというのにすでに暑かった。



今日も暑いのか、と辟易しながら、練習場へと向かった。







*
*
*







――今日の練習も、可もなく不可もなく…という感じだった。
ただ違ったことと言えば、結人と口を利かなかったという事だ。 一馬は何も言っていなかったが、それでも俺と結人の間に嫌でも挟まれているから、もしかしたら気づいたのかもしれない。勘が悪いわけじゃない、一馬だから……



帰りの電車に乗って、正直ため息がもれた。
――二人には悪いけど、正直一緒に居るのが辛かった。
二人と居れば、嫌でも衿子のことを思い出してしまうから……
それに、一馬に説明していない罪悪感もあった。



一馬には最近彼女が出来た。



本人も驚いていたけど、倍驚いたと言ってもいいのが、俺たちだった。
――こういうと御幣が生じるから、ちゃんと説明すると、
一馬にも彼女は居たことがある。けれど、いつもどっちか一方通行だったみたいだ。
一馬は不器用で、見てるこっちがじれったくなるほど奥手で、気づいたときにはもう相手側が愛想を尽かしていた。 何回かそんな事があって、すっかり落ち込んでいた一馬だったけど、数ヶ月程前から好きな人が出来た。



今回は、だめだろう。って肩を落として、すっかり自信をなくしていた一馬だったけど、1ヶ月ほど前にその彼女から告白された。 本人も、そうとう驚いたみたいだ。――想われている、なんて夢にも思っていなかったみたいだから。
そんな一馬の話を聞き続けてきた俺たちも、ダメだろうと思っていたから、付き合いだしたと、照れながら言う一馬の言葉を最初はなんの冗談だと、思ったほどだ。



……だから、そんな幸せいっぱいな一馬に言える訳が無かった。 そして結人にも。



結人が怒っている直接の理由は解っている。
別れたって、俺が直接言わなかったことに、腹を立てているんだろう。



はぁ、と今日何度目かのため息をついて、電車から降りた。 プラットホームは、まだ明るい夏の日差しに照らされていて、なんだか暗い気持ちを尚、煽ってきた。
――辛い時は、何を見ても辛いものだ。…これは俺の自論だけれど。
だから、花火日和の空になる、夜のことを思っても晴れた気にはならなかった。



今思えば、なんで今日の約束を受けたのか疑問に思える。



さんからメールが着たことに驚いて、メールの内容に更に驚いて……



でも、なんだかあの時は、花火大会に行きたい気持ちになったのは、事実。
サッカーして、家に帰って…っていう単調な日々に辟易としていた。 それに、選抜でもロッサの練習でも、結人と顔を合わせなきゃいけなかった事も……



そんな単調で、少し精神的に疲れる日々に、一日だけでも変化をつけたかった。
――だから、言葉は悪いかもしれないけど、さんを利用するつもりでいた。



……なんだか、最低な人間に成り下がっているな。
そして俺は、本日二度目の嘲笑を浮かべ、いつの間にか自分の家の前でたどり着いていることに気づいた。







*
*
*







家に着いたのが、6時45分だった。7時半にさんと待ち合わせだとしても、シャワーを浴びるぐらいの余裕はあるだろうと値踏みした。そして、7時10分に家を出た。
――7時25分ぐらいには、待ち合わせの駅前に着くだろう。
腕時計を見ながら、それでも心持、急ぎ足で駅に向かった。



待ち合わせの駅とは、さんがいつも下車する駅のことだ。
時々、一緒に帰ることになった時、さんは俺が降りる駅の手前の駅で下車する。
自分の最寄り駅につくと、さっきと打って変わって人で溢れていた。混雑している切符売り場を通りよけ、改札口に急いで向かった。 案の定、プラットホームは人で賑わっていた。



早めに出てきてよかった。



そう思いながら、車内に乗り込むと、やっぱりここも人で溢れていた。通学ラッシュに引けを劣らないほどだ。
数分の我慢だ、と思いながらもこの人の多さに正直うんざりした。
そして、約束の駅のプラットホームに出ると、車内よりはるかに空気が澄んでいた…というか車内の空気が淀んでいた。はぁ、と人心地つく間もなく、人ごみに流されていった。



さんとの約束は、駅前のDトール前だったな。



駅より少し離れていたほうが、落ち合うのが便利だろうと彼女は言っていた。――俺はその言葉に大いに頷けた。これだけの人が居たら、改札口で待ち合わせなんかしたら、落ち合えないかもしれない。



この花火大会は、この近辺で少しだけ有名だった。



変り種の花火が上がったりして、話題性があるらしい。
何かの情報誌で、小さく取り上げられていたのを見たことがある。
その時は別段、興味はなかったけど、こんな事になるとは…



ようやく、改札口から出れて、そして少しだけ人ごみが緩和されて、ほっとした。
そして約束のDトールを探すと、難なくその看板が目に入った。
人ごみをすり抜けて、Dトールの方に歩いていくと、また新たな行列が目に入った。Dトールの入り口からずらりと人が列を成していた。 …これじゃ見つからないんじゃないか。と思ったけれど、Dトールの行列はちゃんと整備されていて、その行列の向きとは反対側に彼女が佇んでいた。俺をまだ見つけ出せないのか、きょろきょろと当たりを見回している、彼女。



…俺は軽い、ショックを受けた。――否、ショックという言葉は適切じゃないかもしれない。



ようやく、俺を見つけたのか、彼女は満面の笑みを浮かべて大きく手を挙げて振ってきた。



彼女が手を振れば振るほど、旗を靡かせるように動く、袖。
いつもは下ろしている髪は、今日はまとめられている。



俺も、今気づいたようなフリをして、軽く手を挙げた。



…まさか、一瞬でも見惚れたって言うわけにはいかない。



そして、彼女の傍へと近づくと、嬉しそうにこんばんは、と笑顔をたたえてきた。
俺も、つられて微笑んだ。



今までの鬱々とした気分なんか忘れ去って……
人ごみでうんざりしていたけど、だけど、彼女の笑顔を見ただけで、



なんだかそれだけで、薄暗かった世界が、意味を持って色づき始めた。



そして何も知らないさんは、無邪気に「早く行こう」と言って、急かしてきた。











まだ、花火を見ていないけど、今日来てよかった。って思えた……

















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ワタシ、ヨンサの住んでるって設定になってる場所の地理知らナイ……っ!!(ガタガタぶるぶる) ソウシガヤって夏目漱石の「こころ」にも出てきますよね?あと、池袋の近くって事しか知らナイ!! 無知ゆえに、書けるのかもしれません(^^;)なんか、ようやく英士とヒロインの話っぽくなってきた気がします。7話目にして!そして7話目の後半にして!(遅っ)スローペースな展開のアフターイメージです(苦笑)仕方ないよな、ヨンサだもんな(??)←ヨンサファンに殴り殺されそうな発言。