待って
待ってよ


幼き日の思い出





Honesty

嘘じゃないよ





世界が赤く染まってる。…そう思えた夕方ごろ。校舎の中は、シンと冷たい静寂に包まれていた。…多分こんなセンチメンタルな表現しちゃってる俺って最上級にヤバイだろ。
はぁとため息をついて、中々終わらないプリントをねめつけた。やってられっかよ。そう独り言ちていると、パタパタと至極軽やかな足音が廊下から響いてきた。その独特なテンポの足音に、誰だか言われなくてもわかった。とても長い長い、付き合いだから。

「あっ!結人だぁ」

彼女のちょっと舌足らずな甘い声が、静かな教室の中でこだました。 ひょこっと子どものようにドアの影から顔を出したその彼女は、嬉しそうにうふふと笑いながら、パタパタと俺の席の隣に腰掛けた。――余談だけどそこはの席だ。中々話の面白い、自称スーパーサブのサッカー部員だ。

「どうした?」

俺は今取り組んでるプリントから目を離さずに声をかけた。数学ってものは、学校を卒業しちゃえばほとんど使わないのに。頭の中で数学教師を罵倒する言葉がいくつも浮かんで、そして消えていった。所詮、やり終えなければ帰れないし、自分の酷い成績が目も開けれない状況になりかねないから。今以上に。

「うん、あのね。結人がちゃんと勉強してるか見に来たの」

「へ〜それはご苦労なことだ」

「うん。数学の副田先生のご命令だから」

「そっか〜。が副田のじじいの手先になる世の中だもんな、もうそんな世界終わっちゃってるに等しいよな」

はははと笑いながら、俺は空欄に適当な数字を埋め込んでいった。…どうせ無い頭をフル回転しても答えが導かれる事なんてないって解ってるから。

「…結人くんご機嫌斜めですね?」

「うん。そりゃぁ副田をぶっ飛ばしてやりたいぐらい、ご機嫌斜めですよ?ちゃん」

言ってる事と俺の声音が全く一致してないことが、彼女のツボにはまったらしく、彼女はくすくすと可笑しそうに声を上げた。

俺はやれやれとまたため息をついて、大きく伸びをした。
そしてふと彼女の方に視線を向けると、一転深刻そうな表情をしていた。俺はビックリして、ドキリと心臓が不意に大きく突いた。…そして後ろの脚にバランスが置かれていた椅子がひっくり返りそうになった。

「な…なんだよ。ビックリするじゃねぇかよ!」

あわや倒れこみそうになったのをギリギリの所で戻して、それにふと安堵のため息が出た。
彼女はそんなことはどうでもいいのか、静かな声で尋ねてきた。――いつものバカみたいな甘い声ではなく。

「大阪行くってホント?」

その怪訝そうとも悲しそうともいえる顔をして、そう静かに尋ねてきた。…俺はそのことか、と合点してまたプリントの空欄を埋める作業を再開し始めた。

「俺、ガンバの入団決まったんだ」

「いつ?」

「先週。この前の土曜に」

「…そっか」

「一馬は柏。英士はサンフレッチェ。俺はガンバ。…みんなバラバラだ」

みんなバラバラ。そんなこと初めてだった。ガキの頃から一緒で、嬉しかった時も辛かった時も。いつも3人一緒だった。…3人一緒なら、できない事ないって。バカの一つ覚えにそう思ってた。

「そっか。私は一馬くんと会いやすいけど…結人は英士くんと会いやすくなるかもね?」

苦し紛れにそう言ってるように思えた。――本当はそんな単純じゃない。そう解っているからこそ彼女は言ったのかもしれない。…俺の憶測だけれど。
そうかもな。そう呟いて、最後の空欄に『3』という数字を埋め込んだ。そしてシャーペンを机の上に放り投げるように置き、また一段と大きい伸びをして、ぐるりとの方向へと顔を向けた。

「お前はどうするんだよ?」

俯き加減だったが、えっ?と顔を上げた。

「だから、今後の進路。どうするんだよ?」

はしばらく口を噤んで、そして声を少し震わせて口を開いた。
――まだ彼女の中で、キチンとした答えが出ていないんだろうって、簡単に想像できた。

「せ…専門行こうって思ってる」

「何の?」

「…福祉の」

「いいじゃん。お前らしいじゃん。きっとお前じいさまたちのアイドルになれるぜ?」

そう言って茶化すように頭を撫でた。
小さな、ほんの小さな頃からの付き合いだった。男とか女とか。そんなんじゃなしに俺たちは今まで一緒だった。怒られたのも、楽しかったのも、兄弟みたいに一緒に育ってきた。

やがて思春期…って今か。そんな時期に入りだすと、あまり喋ったりしなくなった。そしてお互い彼氏彼女が出来て、時たま愚痴をこぼしたり、失恋話に耳を傾けたり。…本当に『清い関係』だった。

「泣くなよ、!」

ぽろぽろと俯いて、泣き始めた彼女。…本当は俺だって泣きたいよ。その気持ちを込めて、一段とぐしゃぐしゃに頭を撫でた。…いつもならそれに文句をいうは、今日は何も言わずただ声を殺して涙を流し続けた。

「お…大阪、あ、遊びに行くから…」

「おう。食い意地張ったお前のために旨い店探しておいてやるよ」

「う、うん。わ…私も、結人がヨボヨボのおじいさんになったら面倒みてあげるから」

そしたらお前もヨボヨボのばあさんだよ、と額をピンと指ではねた。そしたらようやくは笑った。涙をぽろぽろ流しながら。

「しょうがない。今日は結人くんが何かおごってあげよう!」

「ほんと?」

「そしたら今度お前がおごる番だからな」

そういうとは不服そうに声を上げた。
俺はそれを無視して、帰りの準備を始めた。

「お前も帰りの準備してこいよ。あんまり遅いとおいてくぞ」

そういうと彼女は、パタパタとまた軽やかに足音を立てて自分のクラスに帰っていった。
俺は、彼女の後姿を何とも言えない感情でそっと見送った。そしてふとため息をついて、机の上に置かれた忌々しいプリントに目を向ける。


適当な答えばっかり。
思わず笑いがこぼれた。――まるで自分たちの関係みたいだ。
俺はまたかばんの中から、ふでばこを取りだした。


そして最後の空欄の3という数字を

4と書き直して、彼女に告げる決心をした。





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空城咲サマ2000hitsありがとうございます!
キリリク内容『若菜結人』『ほのぼの』